これは完璧に好みの問題かもしれないが、先週まで滞在していたラスベガスは、すべての点において拒絶反応があらわれる。
アメリカという言葉もそうだけれど、砂漠の中にフェイクの街を作り、24時間眠らないギャンブルの街と化しているが、体を揺すりながら歩くファーストフード浸けされた彼らは、アメリカのいたる田舎からこの街に観光に訪れ、ネオン輝く夜を思う存分満喫しているようだ。
片田舎の単調な生活から、ひとときの快楽を求め、そしてギャンブルでもしかするとミリオンダラーの期待感も抱きながら、数日を過ごしているかのよう。
様々な文化の中でファッション文化もここには存在していないだろうし、もともとアメリカファッションにまったく興味がない私にとって、数日の滞在とはいえ、残念ながら楽しむすべがない。
2回目となるアメリカの展示会場は、やはり前回と同様、違和感を覚えずにはいられない。
来ているバイヤーも、どこかあか抜けていないし、エレガントさに欠け、オシャレを意識しているとは感じられない。
が、本人たちはきっとそうは思ってなさそうな表情をしている。
日本から来ているバイヤーも私から見てオシャレを感じさせてくれる人は、皆無と言っていい。
特に思うに,30歳を超えた男子の出で立ちは、哀しいくらい悲惨でオーダーをしてるひとがこのレベルなのだから、日本のファッションの現状が自ずと分かろうというもの。
いくら何でも、あんたたちプロなんだから、もう少しは気張ればとは思うが、意識すらしてなさそうで、この温度差が現実だと諦めている。
それでいて、自信満々な態度は、いったいどこから来ているのか?
見るからに年下、見るからにファッションセンスはゼロ、でも態度だけは一丁前と、口の聞き方を含めて目上のひとと話をする礼儀とモラルを教えてやりたいくらいだが、時間の無駄なような気もする。
会社の大きさでものを言う輩も、どうしようもないくらい拒絶反応があらわれる。
日頃、日本ではそれが通用していようが、私にとってそんな事はどうでもいい。
本人がどれだけ真のファッションに精通していて、情熱を持ってファッションに取り組んでいるかが、私の一番必要としていること。
インターネットで情報だけは五万と手に入るが、情報だけでオシャレが出来るなら、苦労はしない。
そんなに安逸ではないし、売る事だけ(金儲けだけ)を意識している輩が多すぎる。
こんなにファッションをつまらなくしてしまったのは、いったい誰なのか?
もう一度、原点を振り返れば、不足しているものが多々あるはずだ。
オーバーストア、オーバーブランドでどこも似たり寄ったり、同質化してしまっていることの危機感に、やっと最近気がつき、動き始めたようではあるが、売れてたもんだから対応が遅れ、ファッションの本来楽しむべき要素が希薄になりすぎた。
気づこうとするか、それともメイクマネーだけにこだわるか?
あまりの不甲斐なさに気を取り直して、メリッサチーム計8人で前回も行ったホテルVenetian/ヴェニシアンのイタリアンレストランCANALETTO/カナレットで気分転換をはかる。
私以外全員ブラジル人と最初は気を使って、英語で会話をしていたが、ワインが進むにつれて、全員ポルトガル語の会話でひとり蚊帳の外。
それでも、美味しくワインと料理を頂き、少しはフラストレーションの解消が出来たようで、気を取り直す。
明日も、同じ展示会場で10時間を過ごさなければならない。
cheers.