■前回(反撃の二百挺)の復習
(あらすじと感想) 

 元亀元(1570)年四月、京・二条城。光秀(43)から朝倉攻めの報告を聞く将軍義昭(34)と摂津晴門。織田の負けだという晴門と、引き分けだと主張する光秀。晴門が中座した後、戦場における将軍の存在は兵士のモラルに大きく影響するから、次の戦にはぜひ出馬してほしいと光秀。そこへ、信長(37)が訪れたとの知らせ。出迎える義昭。

 光秀が帰宅すると、次女のたま(8)が女中と庭に遊んでいた。光秀の帰宅に気がついて、父に挨拶するたま。光秀の出勤中、美濃にいた妻子も京に出てきたのである。これからは京で妻子や家臣たちとの新しい生活が始まる。その喜びをかみしめながら、天下を鎮め、京を、そして家族を必ず守って見せる。そう誓う光秀であった。

 金ヶ崎の撤退戦で多くの鉄炮を失い、その補充を信長に命じられた光秀と秀吉(34)は、その調達のために堺にいた。

 今井宗久の館で、鉄炮や火薬などの調達交渉をする光秀と秀吉。「三百挺の鉄炮をすぐに納めよ、とはさすがに無理があると宗久(51)。ちょうど今朝方、さる大名に二百五十挺が売れたばかりだという。その大名とは誰かと尋ねる光秀と秀吉に、営業情報だから教えられないと断る宗久。「織田に喧嘩売っとるん?」と脅しにかかる秀吉を制して、「ここは茶でも飲んで、落ち着いて話をしよまい」と二人を宥める光秀。「じつは…」と宗久。今晩、顕本寺で茶会があるが、そこで話をしないかと宗久は誘う。

 宗久は事前に茶会の出席者リストを寄越す。光秀は、「鉄炮の購買者は教えられないが、茶会の出席者なら教えられる」という宗久の意図を察したものの、リストを見て考え込んだ。出席者の中で、大量の鉄炮を必要とするのは一人しかいない。しかし、その一人とは大和で松永久秀と敵対する、三好三人衆方の筒井順慶(22)であった。すんなりと鉄炮を譲ってもらえるとは考えにくい。悔しがる秀吉。それにしても、出席者リストの末尾には我らがお駒ちゃんの名前も…。

 

 なんだかんだいっても、時間前には顕本寺に着く光秀と秀吉。二人に順慶を引き合わせる宗久。そして順慶に連れられてきた駒。え!? 駒は義昭とできてるらしいから、気をつけろと警告して、秀吉はそのまま離席する。鉄炮二百挺を譲ってほしいと切り出す光秀。すると「私からもお願いします。それが公方様の願いでもあるから」と横から駒の強力な助け船。意外にも光秀の頼みを受け容れてもいいという順慶だが、光秀と駒の二人にはそれぞれに条件があるという。駒には将軍義昭を、光秀には信長を引き合わせてほしいというのだ。

 同年六月二十八日、織田・徳川連合軍は浅井・朝倉連合軍を姉川に破った。

 戦勝に沸く近江横山城内では、信長が家康(29)の働きを大いに褒めていた。光秀は家康に呼び止められる。家康はこれから三河に帰り、今後、織田・徳川に立ちはだかるであろう

強大な敵・武田信玄(50)に備えるという。家康は、将軍義昭がしばしば信玄に上洛を促す御内書を送っているといい、義昭を食えない御方だといった。

 翌七月二十一日、三好長逸ら三人衆は阿波から摂津中嶋に進出する。これを知った信長は翌八月二十三日、岐阜を発して入京すると、同月二十六日には摂津天王寺に布陣した。同月三十日、将軍義昭が摂津に動座する。

 摂津海老江城。将軍義昭を陣中に迎えて、皆勇み立ち、必勝の思いだと信長。信長以下の諸将を鼓舞するように演説する義昭。いわれたとおりにやったが、うまくできたか、と問うように笑顔で光秀を見やる義昭。

 

 翌九月十二日、石山本願寺は信長に対して兵を挙げ、全国の門徒に蹶起を促す檄を飛ばした。これを見て、長政(26)と義景(38)も同月二十日、兵を南近江に動かす。

 京にある、望月東庵の屋敷。戦火を恐れて、銭を庭に埋めようとしている東庵。公方様の参陣で戦火に包まれるような心配はないんじゃないのかと尋ねる駒。石山本願寺が三好三人衆に味方し、それを見た越前の朝倉が挙兵したため、予断は許さないと東庵。駒の表情に不安が広がる。

 正面に石山本願寺と三好三人衆を抱え、背後には浅井・朝倉の軍が迫り、挟撃される形となって、窮地に陥った信長は同月二十三日、義昭を伴って帰京した。

 京・二条城。「信長があんなに脆いとは…」。義昭は憤慨していた。本願寺が三好三人衆方につき、越前の朝倉が背後を脅かそうと動きだすや、信長がたちまち弱腰になり、義昭を使って目の前の敵と和議を図ろうとしたからである。じぶんが将兵を鼓舞しにわざわざ摂津まで参陣しにいった意味がないではないかと義昭は嘆いた。「前代未聞のだらしなさ」。側にいた晴門がここぞとばかりに信長をディスり始める。晴門は信長無用論を打ち上げると、甲斐の武田、越後の上杉を上洛させて、天下の安寧を図ることこそ肝要だという。「朝倉はいまどこにいる」。義昭の問いに、晴門は比叡山だと答えた。

 そこへ駒が訪ねてくる。義昭の無事を喜ぶ駒。義昭の表情からそれまでの険しさが消え、一気に明るさが広がった。駒に土産がある。そういった義昭は竹籠を取り出して見せると、「蜻蛉だ」といって、無邪気な子どものように笑った、

 翌二十四日、いったん摂津から帰京した信長は、まずは南近江に侵入した朝倉を叩くべく近江坂本に転進していた。石仏を背負って唸る信長。浅井・朝倉は信長が迫るや、叡山に逃げ込んだのである。「なぜ叡山は朝倉を匿うのか」、「なぜ浅井はこの戦に関わろうとするのか」。信長は絞り出すような声で光秀に問う。信長は多くを奪い、朝倉は多くを与えるからだろう。そう光秀が答えると、「何をだ」と信長がさらに問う。金だと光秀。

 比叡山延暦寺の一室。三人の僧の前に、金の大判三枚が差し出される。天下を平定した暁には望みの土地を献上し、延暦寺の屋根を黄金で葺き替えてみせるゆえ、何卒、信長を倒すために力添えを願いたいという義景。きっと座主もお喜びになるだろう、と僧たち。叡山の頂には暗雲が垂れ込めていた。

※人名の後の()内は、『国史大辞典』(吉川弘文館)による元亀元(1570)年時点の年齢(数え)。但し、同辞典では生年不詳とされている明智十兵衛(光秀)のみ、『日本人名大辞典』(講談社)によった。

 

(史料から)

『朝倉記』に「(信長の代官である)森三左衛門尉長康宇佐山ニ城郭ヲ構テ、(中略)山門領ヲ悉押領ス」とあり、寺領の還付を命じられたとしている。また『総見記』には「当時濃州ニ有之處ノ、比叡山延暦寺ノ領地ヲバ、皆悉押領セシム、(中略)先年ヨリ山門ヘ寄附シ置キ、向後大檀那ト成テ、若シ越前難儀ノ事有ル時ハ、山門三千ノ衆徒等一同ニ、朝倉ヘ一味スベキ由契約ヲ以テ、寄附セシ地ナリ」とある。「信長は多くを奪い朝倉は多くを与え」のネタ元だろうか。

 

■予習:比叡山に棲む魔物
(背景と展望)

 各地の反信長勢力が活発化する中で、比叡山に立て籠もりつづける浅井・朝倉軍に業を煮やした信長は、将軍義昭、そして朝廷に働きかけ、浅井・朝倉との和議を図ろうとする。

 番組予告を見るかぎり、その役目を負った光秀の前に立ちはだかるのが春風亭小朝さん演じる叡山のボス(天台座主)・覚恕法親王(50)となるようだ。覚恕は異父兄・正親町天皇(54)に対して暗い情念の炎を燃やしつづける人物として描かれているようだから、小朝さんの演技も見ものだ。