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全国の“道の駅”完全制覇の夢!

全国の道の駅巡りをしています。
2006年12月に旅をスタートし、7年半を費やして一応全国制覇を達成しました。

でも、その後に新しい道の駅が次々に誕生し、全国1160カ所に達しています。
私が走破したのはその内の1132カ所ですから、まだまだ旅は続きます。

旅の3日目、稚内市内のホテルを出て最初に向かったのは

宗谷岬 です。

 

 

この地図でお分かりのように、前日は北海道の西岸、日本海側を北上しましたが、3日目の今日は東岸のオホーツク海に沿って南下します。

 

最初に立ち寄ったのが “宗谷岬” で、ご存知のように日本の最北端です。

最北端の象徴としてよく見かけるのがこのモニュメントです。

 

 

 

 

日本最北の宗谷岬から、対岸のサハリン島(旧樺太)までの距離は約43kmです。

太平洋戦争末期にロシア軍が攻め込むまで、日本領であった南樺太には40万人が暮らしていました。

 

その樺太が “島” である事を発見したのは江戸幕府からその探検を命じられた “間宮林蔵” です。

伊能忠敬から測量術を学んだ彼は、2回目の探検で大陸との間が海峡で隔てられていることを確認し、その海峡は “間宮海峡” と名付けられました。

 

その発見は当時の世界地図の空白を埋める偉業と言われ、そのブロンズ像がこの地に立っています。

 

 

さて、私がこの最北の地に来たのは今回が2回目です。

前回来た時は、たくさんの観光客が最北の碑の前で代わる代わる記念写真を撮っていました。

 

今回は平日の朝ということでしょうか、あるいはコロナの影響かもしれませんが人がまばらです。

周辺の写真をまずご覧頂きたいと思います。

 

 

 

 

日本最北の地の碑は海岸に面した場所にありますが、道路を挟んだ向かい側に小高い丘があり、そこに何やら建物や像が立っているのが見えます。

 

実はその丘を含めた広い範囲を “宗谷岬公園” といいます。

その周辺マップがありました。

 

 

私が前回来た時には最北端の碑の周辺と、先ほどの写真にあった青い建物の土産店しか見てないので、今回は公園全体を見て回ることにしました。

 

歩いて道路を渡って丘へ上ることもできますが、車でほんの少し進むと、右手に丘に上がる道路があり、その先には広い駐車場もあります。

 

丘の上の駐車場に停めて、まず目につくのがこの巨大なモニュメントです。

 

 

おそらく “鶴” をイメージしたと思われるこのモニュメントは “祈りの塔” といいます。

 

1983年(昭和58年)にサハリン西海域のモネロン島沖で、ソ連の迎撃戦闘機が予定コースを外れた大韓航空機をミサイルで撃墜し、日本人28名を含む乗客・乗員269名全員が犠牲になりました。

この塔はその犠牲者を慰霊し、世界の恒久平和を願って建てられたものです。

 

塔の高さは 「19.83m」 あり、これは事故発生の年を意味しています。

更に16枚の羽根は遭難者の母国数、269枚の白御影石は犠牲者の数を表しているそうです。

 

 

これは “世界平和の鐘” といいます。

 

世界平和の鐘は、1954年(昭和29年)に日本人の一個人が、戦争の悲惨さ、核廃絶の尊さを訴え、当時の国連加盟国65か国のコインで鋳造した鐘をニューヨークの国連本部に寄贈したのが始まりです。

 

同じ鐘を世界中に設置しようという運動で最初に作られたのがこの鐘で、現在では9月21日の「国際平和の日」 に、全世界で鐘が鳴らされます。

 

私も鳴らしてみましたが、軽く打ったつもりが大音響で鳴り響いて驚きました。

 

 

その横にあるこちらは “子育て平和の鐘” といいます。

 

稚内市は1986年(昭和61年)に “子育て平和都市” を宣言しており、未来を担う子供たちの幸せと、家庭・地域・世界の永遠の平和への願いが込められているそうです。

 

 

この像は海岸からも見えていましたが、“あけぼの像” といいます。

 

北海道の牛乳生産量100万トンと、飼育乳牛50万頭突破を記念して、1971年(昭和46年)に建立されたのだそうです。

 

この地における開拓は明治中期から始まり雑穀や馬鈴薯などの畑作中心でしたが、冷害などで苦労が絶えず実りが少なかったことから昭和20~30年代から酪農への転換が進められました。

稲作の北限を越えるここ稚内では現在、農業の大部分は酪農です。

 

 

この建物は “旧海軍望楼” です。

 

1902年(明治35年)に旧日本海軍が建設したもので、ロシアのバルチック艦隊の動きを監視するというのが最重要の任務でした。

太平洋戦争では対潜水艦監視基地として機能しました。

 

稚内市内では数少ない現存する明治時代の建築物で、市の有形文化財に指定されています。

 

 

これは “平和の碑” です。

 

太平洋戦争のさなか、宗谷岬沖で日本とアメリカとの間で激戦があり双方に多くの犠牲が出ました。

この碑は戦後50年にあたる1995年(平成7年)に日米合同で慰霊碑を建立したものです。

 

 

この丘から見下ろすと、ご覧のように “日本最北端の地の碑” が見えます。

この日はあいにくの曇り空でしたが、天気次第ではサハリン島(旧樺太)の島影が見えるそうです。

 

1時間近くをこの宗谷岬公園で過ごし、この日の最初も道の駅へと出発しました。

 

 

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今夜の宿泊先稚内に向かって、まず

サロベツ原野 を走りました。

 

 

道の駅てしおを出発してしばらく走ると、人家はほとんどなくなります。

左右ともに何もないほぼ一直線の道路に、まず見えてきたのがこの光景です。

 

 

 

風力発電の風車自体は珍しくもありませんが、ご覧のように一直線に延々と並んでいるのです。

一度本数を数えたことがあり、30本と思ったのですが、正確には28基だそうです。

 

ほぼ100mの間隔で、その総距離は3.1kmです。

その風車の列がちょうど終わったところに “サロベツ原野駐車公園” があります。

 

ここに車を停めて振り返ったのが次の写真です。

 

 

 

この風車の列は、“オトンルイ風力発電所” といいます。

 

オトンルイとは、アイヌ語で 「浜にある道」 という意味だそうです。

ここは2003年(平成15年)から稼働しており、総出力21,000kWを約17km離れた北海道電力幌延変電所へ供給しています。

 

 

 

 

ここは “利尻礼文サロベツ国立公園” の中にあります。

ここから見えている山影は利尻島にある日本百名山の一つ “利尻岳(標高1721m)” です。

 

私がサロベツ原野を走るのはこれが3回目ですが、1回目の2009年6月の時は利尻岳はうっすらとしか見えず、2回目の2017年6月は曇り空で全く姿が見えなかったので、今回はこれでも良い方です。

 

ただ前回までの2回は6月だったので、「エゾカンゾウ」(ニッコウキスゲ) をはじめとしてたくさんの種類の花々が原野に咲き誇っていました。

残念ながら10月だと、ほとんど見かけません。

 

 

果てしなく続く原野を更に進み、次は “こうほねの家” で車を停めました。

 

 

天塩から稚内まで68kmに及ぶサロベツ原野で、ちゃんと駐車できるのは、私の知る限り3カ所です。

ここは裏手の湿地帯に木道が整備されており、散策しながらいろんな種類の花々を楽しめます。

 

でも10月という季節のせいでしょうか、以前より廃れている雰囲気がしました。

 

 

 

この小さな沼に、3年前咲いていた花がこちらです。

 

※2017年6月撮影

 

これは、“ネムロコウホネ” という、スイレン科の花です。

この場所の “こうほねの家” という名前はこの花が由来です。

 

そしてここからの利尻岳がこちらです。

 

 

 

午前中であれば手前から日が当たるので、もっとくっきり見えるのでしょう。

 

 

更にサロベツ原野を走り抜けて稚内に入り、最初にやってきたのは

ノシャップ岬 です。

 

 

 

 

 

道の駅てしおを出発したのが14時25分、ノシャップ岬に到着したのが16時ですから、途中で2カ所停まったけど1時間半以上かかっています。

 

北海道の16時というと、そろそろ夕暮れです。

 

 

 

もう少しここで粘れば夕陽の写真が撮れるかな、と思いましたが、日が沈む前にもう一カ所行きたい所がありました。

稚内公園 が、その場所です。

 

稚内市内には過去3回来ていますが、まだ稚内公園には行ったことが無かったのです。

市街地の、小高い丘に広がる公園には、こんなものがあります。

 

 

 

 

夕暮れなので写真が鮮明ではありませんが、“氷雪の門” です。

 

 

正式な名称は 「樺太島民慰霊碑」 というのだそうです。

 

 

この碑は、“九人の乙女の碑” といいます。

 

 

これらを読むと、今の平和な社会は悲しい過去の上に成り立っているのがわかります。

 

 

 

これが公園から見下ろした稚内市街地の写真です。

では、そろそろホテルに向かうことにしましょう。

 

この日選んだ宿は、3年前にも泊った “稚内グランドホテル” です。

3年前に泊った時、その部屋の豪華さに感激したからです。

 

 

※上記2枚、2017年6月撮影

 

追加料金もない普通の値段だったのに、リビングと寝室の2部屋があり、自由に使えるマッサージチェアまでついた、すごく豪華な部屋だったのです。

 

 

そして今回案内された部屋は・・・・・・・・・

ビジネスホテルで普段泊るような、普通のツインの部屋でした!(;^ω^)マア、イイカ!

 

 

※本日走ったルート(googleタイムラインによる自動記録)

 この日の走行距離は378km!

 

 

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えんべつ富士見から20分ほど走って

道の駅てしお にやってきました。

 

 

 

“天塩町” は人口が約3000人、北海道で2番目に長い “天塩川” の河口に位置します。

天塩川は “日本最北の大河” と呼ばれ、その流域に肥沃な土地を形づくってきました。

 

天塩町の主な産業は、その肥沃な大地での大規模酪農です。

町で飼育されている乳牛は1万数千頭を超え、年間5万トンの牛乳を生産する専業酪農地域です。

 

 

 

パンフレットにあった、町の地図です。

町は碁盤の目に整備されており、役場などがある町の中心部に道の駅もあります。

 

 

 

この道の駅に来るのも3回目で、前回は2017年6月に来ています。

それから3年目になりますが、中の様子が少し変わっていました。

 

 

これが道の駅の中の案内図です。

中央にラウンジがあり、その右手に “ふるさとギャラリー” と書かれています。

 

このギャラリーには、全国で活躍する地元出身の画家や陶芸家などの作品が展示されていました。

前回撮った写真がこれです。

 

※2017年6月22日撮影

 

それが今回は、このように変わっていました。

 

 

 

ギャラリーがなくなって、地元の特産品やグッツを売る売店になっている!

元々この道の駅には、この反対側に土産物のお店があります。

 

 

 

こちらが元からあった売店で、その奥はレストランになっています。

ギャラリーには素敵な絵画などが飾られていたので、ちょっと残念なような!

 

この2つの売店、おそらく経営者は別なのでしょう。

例のGoToトラベルキャンペーンの地域共通クーポンですが、以前からの売店は紙のクーポンだけしか使えませんが、新しい方の売店は、紙と電子の両方が使えるようになっていました。

 

電子クーポンを使える方で土産を物色しましたが、目ぼしいものが見つからず、スルーしました。

 

 

さて、この道の駅を過ぎるとまもなく “サロベツ原野” です。

 

ここからサロベツ原野経由で稚内まで68kmです。

これを一気に走り抜けます。

 

 

 

 

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