5日目、最終日の最初に向かったのは
道の駅高田松原 です。
この日は朝から大粒の雨が降っていました。
釜石市のホテルを出発し、まもなく “三陸沿岸道路” に乗ります。
一般道ではないので震災から10年以上過ぎた復興の様子が見れず、物足りなさを感じます。
約1時間かかって、道の駅高田松原に到着しました。
雨の中なので写真も写りが悪いです。
この “道の駅高田松原” に来るのは実は3回目です。
最初に来たのは震災の翌年、2012年6月2日でした。
その時に撮ったのが次の写真ですが、周辺はほとんど何もないまっさらで、道の駅は内部も含め破壊されたままになっていました。
2012年6月2日撮影
2011年3月11日の東日本大震災でこの道の駅は14.5mの津波に襲われ、最上部をわずかに残して水没し、外壁は残ったものの、内部は完全に破壊されてしまいました。
周囲にもいくつかの破壊された建物が点在し、その光景に大きなショックを受けたものです。
2回目に行ったのは2017年9月22日です。
近くの新しい道の駅を訪ねた時に、どうなっているかを知りたくて立ち寄ったのです。
2017年9月22日撮影
震災から6年以上経っているのに、道の駅は前回見た時と同じ、内部も壊れたままでした。
ただ、これはわざと撤去せず 『震災遺構』 として残したことを知りました。
そして同じ敷地内に新たに “追悼施設” と “復興まちづくり情報館” が作られていました。
今回は、新しい道の駅ができてリニューアルオープンしたと聞いたので再度訪れたものです。
以前の道の駅の隣の敷地に作られた新しい道の駅は見違えるほど立派になっていました。
道の駅を含むこの付近を “高田松原津波復興祈念公園” といい、その敷地は約130ha、東京ドームの約30倍もの広さがあります。
2種類の案内図を表示していますが、手前に “道の駅高田松原” と “東日本大震災津波伝承館” の二つの建物があります。
その先に “追悼の広場” “献花の場” があり、海に面して “海を望む場” があります。
更に、右の奥に “奇跡の一本松” があるのです。
この2枚の写真は道の駅と津波伝承館の二つの建物の中間にある部分で、これをまっすぐ進むと先程紹介した “海を望む場” に至ります。
今回は奇跡の一本松を含め、全部を見て回るつもりでやってきたのですが、ご覧の通りの大雨です。
手前の水しぶきがご覧いただけるかと思います。
悔しいけど屋内だけを見学することにしました。
これが駐車場側から見て右側にある “道の駅高田松原” の新しい建物です。
最初にご紹介した “高田松原津波復興祈念公園” のメインの一つとして2019年9月にリニューアルオープンしました。
以前の道の駅については、私は破壊された後しか知りませんが、随分と立派になったと思います。
入口を入ったところは復興に関するゾーンの一つであり、展示物やインフォメーションがあります。
道の駅のスタンプもここに置いてありましたが、いつもの登録証は見つけることができませんでした。
そしてその奥が店舗です。
食事処は “まつばら食堂” と “たかたのごはん” の二つがあり、一番奥がフードコートです。
土産のエリアもとてもセンスのある配置だと思います。
では、もう一つの “東日本大震災津波伝承館” の方に入ってみます。
入場は無料です。
※これは津波で破壊された橋の一部です。
※この2枚は津波に押し流された消防自動車です。
消防士の人たちは無事だったそうです。
伝承館は
ゾーン1:歴史をひもとく
ゾーン2:事実を知る
ゾーン3:教訓を学ぶ
ゾーン4:復興を共に進める
に分かれて展示されており、災害対策室を再現した部屋もありました。
伝承館の一番奥から外を見ると、元の道の駅高田松原「タピック45」 が見えました。
内部は破壊されたまま残し、震災伝承施設の一つとしてガイドの案内で内部の見学ができるそうです。
道の駅にメッセージが記されていたので、最後にご紹介したいと思います。
■過去の記事
2012年6月 岩手・宮城の旅:無残な廃墟!“高田松原”
2017年9月 みちのく旅4日目:東日本大震災の遺構として残る!“高田松原”