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RRMN

人生はコメディ  時々奇跡  いつもチャンス

たまに心が踊る  妻はよく踊る

一年は短い  一生も短い  地震なんかに負けないぞ

息子よ見てるのだぞ  パパの親バカぶりを  ママの慈愛を

みんなちがってみんないい  好きに生きていい  常に

次兄は定時制高校で宮崎君と仲良くなった。大人になっても地元に帰ってくると宮崎君には会いに行っていた。母は宮崎君について次兄が良く遊びに行っていたので快く思っていなかった節があったが自分は兄にも仲のいい友だちができたんだなと嬉しかったような気がする。

次兄が働くガソリンスタンドのキャンペーンか何かの余りで怪獣の形をした目覚まし時計を貰ってきたことがあった。その怪獣の目覚まし時計のベルは設定した時間になるとその場でクルクルと回り「止めてくれ~」と言い続けるものであった。そして角を押すと止まる。自分はピンときて「これを持って友達の家に行って“泊めてくれ~”ってやったらいいんじゃない」と次兄に言う。すると近くにいた母が「何言ってんの!ばかがんの!」とキレた。次兄は苦笑いをしていた。

次兄が高校中退後。定時制高校に通いながらガソリンスタンドでアルバイトを始めた。この頃の次兄は泊まり歩くようになり母は猛烈に心配していた。次兄が夜遅く帰って来ないと母は外に出掛けて不良が溜まっている場所を巡って兄の所在を尋ねまわっていた。

次兄が高校中退後。定時制高校に通いながらガソリンスタンドでアルバイトを始めた。この頃の次兄は泊まり歩くようになり母は猛烈に心配していた。次兄が夜遅く帰って来ないと母は外に出掛けて不良が溜まっている場所を巡って兄の所在を尋ねまわっていた。

次兄が高2の頃。他校の生徒と駅前で大人数同士でケンカをした。そこに警察が来て次兄は補導された。それが高校にも伝えられ次兄は高校を退学することとなった。たった一度の補導で退学は子供なりにも厳しすぎる気がしたが次兄の通っていた高校はヤンキーが多かったため校則も厳しかったのだろう。

次兄が高1の頃。家の近くでレーサータイプの250ccのバイクを次兄が押しているのを発見する。このバイクはどうしたのかと聞くと「1日友だちに借りた。親父には内緒にしといて」と家の近所に停めていた。今にして思えばその頃の次兄はまだ原付の免許も持っていなかった頃だった。その頃の自分はその辺のことをよくわかっていなかったが本能的に親にはこのことは絶対言っちゃいけないなと思った。

次兄が中3の頃。隣に住んでた藤崎先輩と遊ぶようになった。この藤崎先輩は不良だったので母は次兄が藤崎先輩といっしょにいることを嫌がっていた。だが次兄らはビーバップ世代なので不良への道を止めようがなかった様に思う。

次兄が中2の頃。一度大いに太った。そして痩せていってその分身長が伸びた。長兄もそんな時期があり自分もそんな時期があった。兄弟は同じ過程を通るものだなと思った。太ったおかげか3人とも身長は180cm前後ある。

兄が中学生の頃。中学生になると行動範囲が広がるため小学1年生だった自分の知らない駄菓子屋に行ったりしていた。その駄菓子屋の話を兄から聞くのが好きだった。

兄が小学1年の頃に道路に飛び出してオートバイに轢かれたことがあったらしい。その時の手術痕としておでこの端から端まで真一文字の縫合跡が残った。その縫合跡のせいで次兄はフランケンと度々呼ばれていた。兄はそう呼ばれるとすぐに怒って呼んだ相手を追い回していた。自分も1度くらいフランケンと呼んだことがあるが物凄い怒られたのでそれから二度とフランケンとは呼ばなかった。