分かち合い、育み、そしてまた分かち合うこと | Sun Of No.19

Sun Of No.19

Fxxk-OK CITYにて
バンド・博多MORNING☆STAR/ReveRのSingerとして活動する
HEADのblogです☆

オハヨウゴザイマス、HEADです☆

当ブログのスマートフォン用デザインを変えてみました、ゴスロリというタイトルでしたがそこまでゴチャゴチャしておらず、シンプルでいいなと思ったからです。
イタチバイツ(フェレット専用ブログ)についても、やはりスマートフォン用のデザインが選択できるのですが、ご覧になった方もきっと思われたのではないかと、とにかく変な絵です。しかし、それ以外のものはピンとこず、そういったものを使うくらいなら変なものでもインパクトのある方をといった選択でした。


さて、先日はいろいろと人間関係やその範囲といいますか、誰に見せるかということではなく、自分をどこまで見せられるか(オープンするか)といったようなことを考えていて、何人かの友や仕事先の方とメールを交わしたりしていました。

特にプライベートや音楽をやっているときの自分と、仕事をしているときの自分、もの凄く対極的なのです。良い言い方をすると、アメコミヒーローのオンとオフのような、、、
ちょっと言い過ぎですか( ̄ー ̄;

しかしそのバランスといった部分が結構難しかったりして、意図的に分けている訳ではないのですが、そのようにハッキリしていた方が楽なのです。
だからこそ、そのままでいいのか、そう思ったのです。

メールを交わした一人のバンドマンからの、返信に、自分はその中間であると、それが中途半端なようで気にしていたと。
しかし、それを客観的に聞いた僕は、それこそ中庸であって調和が取れているのではないかと思いました。

それは彼の生き方であって、彼の良さだと。

さて、俺はどうだ!?

(`∀´)

きっとオンオフがどうとか、どっちがいいかとか比較することが間違いなのでしょうね、どちらも自分であって、その違いなど表面的なものでしかない。
ただ、コッチの方でアッチの良い面を出せたら良いだろうなとか、コッチではウマくいかないがアッチではウマくいくんだけど、とか、そういった場面でその都度、お互いにヒントを受けながら育んでいくことで、一人の人間として成長していけるのではないかと思っています。

友が人と人の間に立つことで中庸であるなら、僕はどちらもあると認識(良い悪いの判断ではなく)することで中庸であるのでしょう。


そんなことを考えた一日でした。



_また或る友は、旧い音楽仲間にインスパイアされ、音楽という漢字の通り、純粋に楽しむことを思い出したようでした。
その通り、僕も曲作りや(バンドの)映像編集などの作業に行き詰ったら、安いアコースティックギター一本で軽く歌ってみるとか、そういったことを始めていたときだったので、友のその返信には素直に頷くことができましたね。



ここで互いの気持ちやその良さをシェアして育みながら、それで生まれた曲や詩をより多くの人に伝え、シェアできるように成りたいですね。