最近、睡眠中によく夢を見る。
数日前は、高校生から二十代の頃に良く聴いたバンドと一緒にステージに立っている夢だったし、投げたギターのネックが外れている様子など細かい部分まで描かれた夢だった。いや、実際に目標や理想を指す夢とは違い、描くという言い方は妥当ではないかも知れない。
先日などは、妙にケバケバしい薬局の中にある診療所で健康診断を受けてくれと仕事先から言われて行ったのだが、終わって待合室にいると、看護師の女性が『白血球がないんです!』と慌てて走ってくる、半ばコントのような夢だった。
『その、ネイトリッジとか言うのって、夢の中じゃ車だったんだろ?』
エンゼルは水を飲みながら、そう聞き返してきた。
よく分からないけど、お前も訳のわからない夢をよくみるな。そういってエンゼルはタバコに火を点ける。
いや。
僕はタイプする手を止めてエンゼルの方を見た。
訳がわからないわけでもないさ、かと言って妙に意味付けをするようなもんだとも思わないけどな。
車という形で描かれた、そのネイトリッジとは一体なんのか、目覚めとともにそんなことを考えた。まだ脳が稼働したくなさそうな寝起きだというのに、ネイトリッジは車だという見たままの観念は呆気なく外れてしまった。
今朝見た夢というのはこうだ。
僕はどこかの街で何かの店を開いているらしい、単に家だったのかも知れない。
隣にもやはり何かの店があって、近所づきあいもしっかりしているようだった。
街というのは、都心から少し離れてはいるが田舎というわけでもない、すぐ近くを通っている道路沿いに住宅や店が敷き詰まっていて、上を見上げると高速道路か電車の高架のようなものがあった。
僕は何度かその付近を、おそらく歩いて回るのだが、その度にキャデラックエスカレードのような大きなシルバー色の車が走っていて、何か気になるようだった。気になると言っても、それに乗ってみたいとかいう気持ちではなく、何か妙なサムシングを見る度に感じ取るのであった。
その夢の中においての主人公である僕に透視能力があったのかは定かではないが、何故か後部座席の一列目だけが見えた。透視能力と言ったのは、走り去るところしか見ていない、つまり駐車してあった車を覗き込んだわけではないのに後部座席の画だけが見えるのである。
その何度目かに、何故か、その辺りを走っている軽トラックを拝借してバックで荷台をぶつける、映画のカーチェイスシーンのような想像もしているようだった。イタズラではなく危機感のような、何処か恐れのような感情もサムシングの中に混在していたのかも知れなかった。
その車を見かける度に、一度自分の店へ戻るのだが、必ず隣の店のオーナーもちょうど車で帰ってきて、話をした。近所づきあいというのは、ほぼその店とオーナーとのやり取りであって、若い男だがどちらが上と言うわけでもなく、わざわざ対等とか同等とかいう言葉すら見つけて当て嵌める必要もないほど、問題もない付き合いをしていて、そこには互いを敬い合うような礼節もあり、健全であった。
彼の車と彼の腕には派手な絵柄がビッシリとペイント(!)してあって、そのルックスと礼儀正しさが妙にマッチしていた。
『ネイトリッジ、いいですよ。乗ってみませんか。』
どうやらその車の名前らしい。よく道路で見かけたシルバーの車と同じ形で、真っ黒なボディにラメのピンストライプが施されている。
ネイトリッジ、その外車のようなルックスといい、実際にありそうな名前だと夢を見ている側の僕は感じていた。夢の中の僕というのは、その車に乗ることはしなかったが、そのネイトリッジという言葉の響きに、何か大きな驚きというわけでもなく、ジンワリと静かに心の奥底で感じるのであった。
響いた言葉のエコーを辿るような感覚、そうして僕はようやく自分の見かけたシルバーの大きな車と目の前の派手なそれが、同じ車種という意味ではなく、同一であることを直感するのである。
【続く】