御室にある仁和寺です。
真言宗御室派総本山。
仁和2年(886年)、光孝天皇の勅願寺として建造開始。翌年、光孝天皇が崩じるも宇多天皇が造営を引き継ぎ、仁和4年、完成。開基は宇多天皇。当初は西山御願寺と呼ばれ、後に元号寺となって仁和寺と号しました。
宇多天皇は、寛平9年(897年)、退位、昌泰2年(899年)、出家。仁和寺に移り住んで仁和寺1世となるとともに、太上法皇を称します(出家した太上天皇が法皇号を用いたのはこれが初)。宇多法皇が仁和寺で住んだ本坊のことを御室(おむろ)と呼んだことから、門主は代々御室を称し、地名にもなります。幕末まで皇族から門主を迎える門跡寺院であり、仁和寺は御室御所と呼ばれました。
応仁2年(1468年)、応仁の乱で伽藍全焼。仁和寺の本尊は西方寺へ避難、仁和寺の本坊(門主の住まい)も仁和寺塔頭・真光院(廃絶)に移されました。豊臣秀吉、徳川秀忠から朱印地を得ます。
寛永11年(1634年)、仁和寺21世・覚深入道親王(御南御室/後陽成天皇第一皇子)は、上洛中の江戸幕府3代将軍・徳川家光に面会して仁和寺の再建を陳情。仁和寺は江戸幕府によって再建されることになります。当時、江戸幕府は寛永の造営で京都御所を建て替えていたことから、慶長の造営で江戸幕府が寄進した京都御所の建物の一部が仁和寺に移築されました。
慶応3年(1867年)、王政復古の大号令により、門跡に入り出家していた皇族男子は軍人となるべく還俗が命じられます。仁和寺30世・純仁法親王(楞厳定院御室/伏見宮邦家親王第八王子)は還俗して仁和寺宮嘉彰親王、後に小松宮彰仁親王と称し、皇族が門主を勤めることはなくなりました。
平成6年(1994年)、「古都京都の文化財」としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。
神仏霊場巡拝の道92番(京都12番)札所。
二王門。
寛永18年から正保2年(1645年)の建造物で、重要文化財。
金堂。
仁和寺の本堂。
江戸幕府は江戸時代を通じて京都御所を6回建て替えており(うち4回は焼失によるもの)、こちらは慶長18年に江戸幕府が京都御所紫宸殿として造営したもの。現存する最古の紫宸殿で、国宝。寛永の造営で京都御所を建て替える際に、仁和寺に移築されました。京都御所にあるときは屋根が檜皮葺でしたが、移築時に瓦葺にしたそうです。
本尊・阿弥陀如来像を安置します。
かつて金堂に安置されていた創建当初の本尊・阿弥陀如来像は、脇仏の勢至菩薩、観世音菩薩像とともに阿弥陀三尊像として国宝に指定されており、現在は霊宝館に移されています。
五重塔。
寛永21年の建造物で、重要文化財。
経蔵。
寛永18年から正保2年の建造物で、重要文化財。
御影堂中門。
寛永18年から正保2年の建造物で、重要文化財。
御影堂。
慶長18年に江戸幕府が京都御所清涼殿として造営したものを、寛永の造営で建て替える際に用材を利用して、寛永18年から正保2年の間に建てたもの。重要文化財。
宗祖の弘法大師(空海)、開基の宇多天皇、仁和寺2世の性信入道親王(大御室/三条天皇第四皇子)の像を祀ります。
鐘楼。
寛永18年から正保2年の建造物で、重要文化財。
観音堂。
寛永18年から正保2年の建造物で、重要文化財。
仁和寺;京都市右京区御室大内33