二条堀川にある橋本左内寓居跡碑です。

 

 

幕末の福井藩士・橋本左内がこの地にあった福井藩京屋敷に安政2年(1855年)2月から4月まで滞在していたことを示す碑。

橋本左内(1834~1859)は福井藩士。藩医・橋本長綱の長男。母は小林梅尾。嘉永2年(1849年)、大坂の適塾に入り、緒方洪庵に師事。嘉永5年、父が死去したため郷里に帰り、藩医を継ぎます。安政元年、江戸の蘭学者・坪井信良に師事。後、坪井の紹介で杉田成卿(杉田玄白の孫)に師事。安政2年、福井藩の御書院番となり、福井藩主・松平慶永(後の春嶽)に見い出され、藩校・明倫館の御用掛となって、洋書習学所を設置。病弱な江戸幕府13代将軍・徳川家定の将軍後継問題で、松平慶永は一橋慶喜を推し、左内は上洛して活動。安政5年、徳川慶福派の彦根藩主・井伊直弼が大老に就任、慶喜とその父徳川斉昭に隠居が命じられ、一橋派の弾圧が行われます。慶永も隠居が命じられ、左内も蟄居。取り調べの中、左内に死罪が命じられ、安政5年10月7日、江戸の伝馬町牢屋敷において26歳で斬首。

 

 

 

橋本左内寓居跡碑;京都市中京区堀川二条