山科にある元慶寺です。

 

 

華頂山元慶寺という天台宗の寺。

貞観10年(868年)、清和天皇の女御・藤原高子が遍昭を開山として創建。元慶元年(869年)、清和天皇が勅願寺として元号寺となり、元慶寺と号したといいます。

華頂山東側に当たるこの付近は、平安時代頃から華頂を簡略化した花山という地名があり、「大鏡」でもこの寺を花山寺と呼んでいます。元慶寺となる前の寺号が花山寺であったともいいます。寛和2年(986年)、寵妃藤原忯子の死を嘆いた19歳の花山天皇は、藤原道兼に連れ出されこの寺で突発的に出家しました(寛和の変)。

かつては大寺でしたが、応仁の乱で焼失。寺域は縮小。江戸時代に復興しました。

西国三十三所番外札所。

 

 

山門。

竜宮門。

 

 

本堂。

本尊・薬師瑠璃光如来像を安置します。

 

 

毘沙門堂。

 

 

人皇六捨五代花山院法皇御落飾道場碑。

寛和2年6月22日、花山天皇は蔵人・藤原道兼に内裏から連れ出され、元慶寺において厳久の手により出家。在位2年、19歳で退位、法皇となりました。

 

 

花山天皇御遺髪石。

花山天皇の出家時、剃り落とした髪を埋めた場所に置いた石と伝えられるそうです。

 

 

元慶寺の開山・遍昭の歌碑。

「天津(あまつ)かぜ くもの通ひ路 吹きとじよ 乙女のすがた しばしとどめん  僧正遍昭」

 

 

遍照僧正御墓碑。

遍昭墓はここより約500メートル南西にあります。

 

 

 

元慶寺;京都市山科区北花山河原町13