2024年2月3日に行われた平安神宮節分祭大儺之儀です。

 

 

平安神宮の行事。

平安神宮節分祭大儺之儀は、かつて行われていた宮中行事・追儺式を忠実に復元して、昭和49年から行われています。平安神宮拝殿は平安宮大極殿、平安神宮楼門は平安宮応天門を縮小して建てられており、これを平安宮大極殿、平安宮応天門と見立てて行われます。

追儺式は中国から伝わり、毎年、旧暦大晦日に行われていた厄除けの宮中行事。当初は大儺と呼ばれていましたが、後に追儺と呼ばれるようになりました。「続日本紀」景雲3年(706年)に行われたのが史料としての発出。鎌倉時代以降は衰退、江戸時代には行われなくなりました。

太陽暦2月4日が立春で旧暦正月1日に相当、前日の太陽暦2月3日が旧暦大晦日に相当するため季節を分ける節分としてこの日に行われています。宮中行事としての追儺式が廃絶した後も、民間にこの風習が広まり、2月3日を節分として鬼を追い払う行事となりました。

 

 

方相氏。

方相氏は中国・周の時代の役職で、日本に伝わりました。人の2倍、4つの目を持つ面を付け、矛と盾を持って、災厄を見通し厄払いを行います。

 

 

上卿が厄払いの弓を射ます。

 

 

殿上人が桃の枝で作った刀を振り下ろしながら「鬼やろう(「鬼やらふ」/鬼を追いやる意味)」と叫びます。

 

 

方相氏が大極殿に向かって「鬼やろう」と言った後、盾と矛を合わせて打ち鳴らす動作を3回行います。

 

 

方相氏、松明を持った童、上卿、殿上人らが大極殿南庭を3周します。

 

 

一行は応天門に向かいます。

 

 

応天門でも上卿が弓を射ます。

 

 

殿上人が「鬼やろう」と言いながら、桃の枝で作った刀を振り下ろします。

 

 

方相氏が「鬼やろう」と言い、矛と盾を打ち鳴らす動作をします。