平安宮内裏昭陽舎跡碑~平安宮昭陽舎跡 | 古都の礎

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浄福寺通出水下る東入にある平安宮内裏昭陽舎跡碑です。

 

 

平安宮内裏で天皇の后妃たちが住んだ七殿五舎の一つ。

麗景殿の東にあり、南舎と北舎の南北二棟からなっていました。庭に梨の木が植えられていたことから、梨壺の通称があります。

女御の住まいとなったほか、成人後も内裏に住むことを許された皇子女らの住まいともなり、東宮敦良親王(後の後朱雀天皇)頃からは東宮御所として定着しました。

天暦5年(951年)、村上天皇の命で梨壺に和歌所が設けられ、坂上望城、紀時文、大中臣能宣、清原元輔、源順の5人が「後撰和歌集」の編纂と万葉集の訓点付けを行い、梨壺の五人と呼ばれました。

平安宮内裏は、嘉禄3年(1227年)、16回目の再建途上に焼失して以降は再建されず、里内裏に移行しました。

 

 

 

平安宮内裏昭陽舎跡碑;京都市上京区浄福寺通出水下る東入田村備前町