菊川にある正林寺です。

 

菊川 正林寺 山門

 

国源山正林寺という曹洞宗の寺。

文明8年(1476年)、駿河今川氏6代当主・今川義忠は遠江国に侵攻し、金寿城主・横田四郎兵衛と勝間田城主・勝間田修理亮を攻めた帰り、遠江国塩買坂で残党に襲われ討死。今川氏親が父義忠が討たれた場所にこの寺を創建しました。今川六代義忠の木像、寿桂尼掛軸を所蔵します。

 

菊川 正林寺 本堂と参道

 

本堂。

本尊・聖観世音菩薩像を安置します。

 

正林寺の石段と社殿

今川義忠墓、菊川正林寺

 

今川義忠墓。

今川義忠(1436~1476)は駿河今川氏6代当主。駿河守護。駿河今川氏5代当主・今川範忠の長男。寛政2年(1461年)、父危篤により家督継承。駿河今川氏はかつて駿河守護と遠江守護を兼ねていましたが、3代泰範は叔父了俊との間に内紛を起こして遠江守護を取り上げられ、斯波氏の任じられるところとなります。義忠にとって遠江守護奪還は悲願であり、応永元年(1468年)、応仁の乱が勃発すると遠江・越前・尾張守護の斯波義廉が西軍であったため、東軍に参加。応仁2年、東軍が斯波義廉と家督を争っていた斯波義良に武衛家督と遠江・越前・尾張守護を与えたため、義忠は東軍同士でありながら義良と対立。遠江国に侵攻して義良側に付いた金寿城主・横田四郎兵衛と勝間田城主・勝間田修理亮を攻め滅ぼします。その帰り、残党に襲われて遠江国塩買坂で討死。享年、41歳。

 

 

 

正林寺;静岡県菊川市高橋497