鎌倉にある極楽寺です。

 

 

霊鷲山感応院極楽律寺という真言律宗の寺。

正嘉年間、北条重時が深沢に念仏堂を建て、極楽寺と称したのが始まり。正元元年(1259年)、現在地に移転。重時はこの寺によって極楽寺殿と呼ばれ、この寺で没しました。

北条重時(1198~1261)は鎌倉幕府2代連署。鎌倉幕府2代執権・北条義時の三男。母は姫の前(比企朝宗女)。建仁3年(1203年)、北条氏が比企氏を滅ぼし(比企能員の変)、この前後に母は離縁。建暦2年(1212年)、同母兄朝時が廃嫡。貞応2年(1223年)、駿河守。元仁元年(1224年)、父義時没、異母兄北条泰時が3代執権就任。寛喜2年(1230年)、六波羅探題北方となり上洛。宝治元年(1247年)、鎌倉幕府5代執権・北条時頼の要請により鎌倉に戻り連署就任。重時の娘葛西殿が時頼の後室となります。建長8年(1256年)、出家。弘長元年(1261年)、極楽寺で死去。

文永4年(1267年)、重時の子長時、業時が忍性を開山として迎え、伽藍整備。忍性は境内に施薬院、療病院、薬湯寮を建て、慈善事業の拠点とします。中世、何度も焼失。近世には無住職の時期もありましたが、その後復興しています。

 

 

参道。

 

 

本堂。

本尊・釈迦如来像を安置します。

 

 

千服茶臼製薬鉢。

忍性が境内に施薬院を作った際、薬を作るのに用いられていたと考えられている石鉢。

 

 

 

極楽寺;神奈川県鎌倉市極楽寺3-6-5