鎌倉にある浄妙寺です。

 

 

稲荷山浄妙広利禅寺という臨済宗建長寺派の寺。

治承4年(1180年)、河内源氏義国流で下野国足利に土着した足利義兼は、源頼朝の挙兵を聞くと参じ、治承5年、頼朝の御台所北条政子の同母妹・北条時子と結婚。北条氏による他氏排斥の中、足利氏は代々北条氏から正室を娶り生き延びました。

文治4年(1188年)、義兼は鎌倉の居館西隣に退耕行勇を開山としてこの寺を創建。当初は極楽寺という真言宗の寺でした。月峰了然が住職を務めた時期に臨済宗に改宗。

鎌倉時代末期、足利貞氏がこの寺を中興。貞氏の法号・浄妙寺殿義観から寺号を浄妙寺と改めました。貞氏の次男足利尊氏は室町幕府を開いて幕府地を京に移す一方、旧幕府地の鎌倉へ四男の基氏を下して鎌倉公方とし、歴代鎌倉公方が庇護。数度の火災に遭い、現在の堂宇は近世以降の再建。

鎌倉五山第五位。

 

 

本堂。

本尊・釈迦如来像を安置します。

 

 

宝篋印塔。

浄妙寺を中興した足利貞氏墓と伝えられていますが、明徳3年(1392年)の銘があり、元弘元年(1331年)に没した貞氏と合わないともされます。

足利貞氏(1273~1331)は鎌倉幕府御家人。足利家時の長男。母は北条時茂女。弘安7年(1284年)、父家時が自害。今川貞世の「難太平記」では源義家が7代後に生まれ変わり天下を取るという置文を残すも7代後に当たる家時は実現できず、3代後に天下を取らせよと祈願して自害したとします。もっともこれ以降も北条家との仲は良好であり、この年亡くなった鎌倉幕府8代執権北条時宗への殉死であったともされます。同年、12歳で家督継承。鎌倉幕府9代執権北条貞時の加冠により元服。北条(金沢)顕時女・釈迦堂殿と結婚。正安3年(1301年)、執権貞時が出家、貞氏もこれにならって出家。家督を正室釈迦堂殿との長男高義に譲ったとみられますが、文保元年(1317年)、高義は21歳で早世。貞氏に家督が戻され、以降、側室上杉清子が産んだ次男高氏(後の室町幕府初代将軍足利尊氏)が後継となりました。元弘元年、59歳で死去。

 

 

 

浄妙寺;神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-31