鎌倉にある瑞泉寺です。

 

 

錦屏山瑞泉寺という臨済宗円覚寺派の寺。

嘉暦2年(1327年)、鎌倉幕府御家人・二階堂道蘊が無窓礎石を開山として創建。当初は瑞泉院と言いました。建武元年(1334年)、道蘊は西園寺公宗による後醍醐天皇に対する謀反に加担したとして処刑されます。

貞和5年(1349年)、室町幕府初代将軍・足利尊氏は、旧幕府地である鎌倉に四男の基氏を下して初代鎌倉公方とします。基氏は無窓礎石に帰依して瑞泉院を復興、瑞泉寺とし、菩提所とします。境内には、非公開の足利基氏墓があります。

足利基氏(1340~1367)は初代鎌倉公方。室町幕府初代将軍足利尊氏の四男。母は赤橋登子(北条久時女)。室町幕府2代将軍足利義詮の同母弟。尊氏は都に室町幕府を開くと、旧幕府地の鎌倉に三男で嫡男の義詮を下します。貞和4年、尊氏の執事高師直と尊氏の弟足利直義の対立に始まる観応の擾乱により室町幕府の政治担当であった直義が失脚。尊氏は義詮を鎌倉から呼び戻して後継者とするとともに、関東10州を統括する鎌倉府を設置、基氏を鎌倉府の長官である初代鎌倉公方として鎌倉に下します。10歳の基氏を補佐するため、高師冬と上杉憲顕が関東執事として付けられました。高師直の従弟である師冬と、直義の外戚である上杉憲顕は対立。正平6年(1351年)、師冬自害。正平7年正月5日、直義死去、憲顕は越後へ逃亡。畠山国清が関東執事となります。正平14年、尊氏が都で没。正平16年、基氏は国清を討ち、越後にいた上杉憲顕を呼び戻して関東執事とします。貞治6年(1367年)、28歳で死去。

関東十刹筆頭。国の史跡。

 

 

本堂。

本尊・釈迦如来像を安置します。

 

 

地蔵堂。

 

 

石庭。

無窓礎石の作庭による禅宗様庭園。

 

 

 

瑞泉寺;神奈川県鎌倉市二階堂710