柏原にある織田信包像です。

 

 

柏原藩初代藩主織田信包の像。

平成26年(2014年)、柏原ライオンズクラブが、結成50周年記念事業として柏原市に寄贈。信包の墓がある京都龍安寺が所有する、慈雲院蟄居時の50代頃の肖像画をもとに造られたそうです。

 

 

織田信包(1543?~1614)は柏原藩初代藩主。織田信秀の子。織田信長の弟。永禄11年(1568年)、兄信長の命により長野藤定の娘と婚姻、婿養子となり、伊勢上野城主。養子縁組を解消して織田に復姓。永禄12年、伊勢安濃津城主。天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が討たれると、豊臣秀吉に臣従。15万石で伊勢津城主となります。文禄3年(1594年)、改易されて京の慈雲院に隠居。老犬斎と号します。許されて秀吉の御伽衆となり、慶長3年(1598年)、丹波柏原3万6000石を受けます。慶長5年、関ケ原の戦いでは西軍につきますが所領安堵、柏原藩を立藩。姪淀殿の要請により、豊臣秀頼の補佐役の一人として大坂城入り。慶長14年、大坂冬の陣の直前、大坂城内で吐血して急死。毒殺説が流れたと言います。

 

 

 

織田信包像;兵庫県丹波市柏原町柏原