丹波篠山にある青山神社です。

 

 

明治5年(1882年)、旧篠山藩士によって、篠山藩主青山家の遠祖青山忠俊と篠山藩12代藩主青山忠裕を祀り、篠山城本丸跡に創建されました。

 

 

拝殿。

 

 

本殿。

祭神は青山忠俊と青山忠裕。

青山忠俊(1578~1643)は江戸時代の老中。江戸崎藩初代藩主青山忠成の子。祖父の代から松平家に仕え、忠俊も徳川家康に出仕。慶長12年(1607年)、土井利勝、酒井忠世らとともに竹千代(後の徳川家光)の傅役。慶長18年、父の死により江戸崎藩2代藩主。元和元年(1615年)、老中。元和6年、岩槻藩に転封。3代将軍家光に諫言を繰り返したため、元和9年、老中を免職、大多喜藩に減俸。寛永2年(1625年)、徐封、蟄居。寛永11年、子の宗俊が家光に許され出仕。寛永20年、死去。

青山忠裕(1768~1836)は篠山藩12代藩主。老中。篠山藩10代藩主青山忠高の三男。母は桂香院。天明5年(1785年)、兄の篠山藩11代藩主青山忠講が嗣子なく没したため、養子として篠山藩主。文化元年(1804年)、老中。天保6年(1835年)に隠居するまで31年間老中を勤めます。途中、文政10年(1827年)、篠山藩は1万石加増されて6万石となりました。天保7年、死去。

 

 

贈正四位隆徳青山君顕彰碑。

青山忠誠の顕彰碑。

青山忠誠(1859~1887)は軍人。篠山藩13代藩主青山忠良の十男。明治6年(1873年)、兄忠敏が40歳で男子なく没し、養子として家督継承。明治7年、陸軍幼年学校入学。明治9年、私財をはたいて旧領の丹波篠山春日神社内に私立篠山中学年舎を設立。明治10年、旧篠山城内の堀内順令宅を買い上げて新たな学舎とします。明治11年、多紀郡立篠山中学校に変更。明治13年、陸軍士官学校を卒業後、陸軍歩兵少尉。明治17年、子爵。同年、中学校設備規則発布により篠山中学校が廃校。明治18年、私立鳳鳴義塾を設立。明治20年7月23日、29歳で死去。同25日、正五位。明治15年、正四位が贈られました。

 

 

 

青山神社;兵庫県丹波篠山市北新町1-1