丹波にあるお福像です。

 

 

江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母となった斎藤福(春日局)の像。

福の父斎藤利三は美濃守護代・斎藤氏の一族で(下克上して斎藤氏を名乗った斎藤道三と血縁はない)、稲葉一鉄の娘・安を娶った後、美濃に侵攻した織田信長に臣従、信長家臣・明智光秀に重臣として仕えます。天正7年(1579年)、光秀の丹波平定の恩賞として、利三は氷上1万石を受けて黒井城に入ります。福はこの年に斎藤利三の末娘として誕生。生誕地は諸説ありますが、黒井城下屋敷で生まれたという説により、JR黒井駅前にお福像が建てられています。天正10年、利三は本能寺の変に光秀直下の実行部隊として参加。山崎の戦いで光秀が羽柴秀吉に敗れると、利三も捕らえられて処刑されます。福は母の安や兄たちとともに外祖父の稲葉一鉄を頼りました。福がこの地に住んだと推測されるのは4歳までで、そのときの様子で像が建てられています。

 

 

春日局(斎藤福/1579~1643)は江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母。斎藤利三の末子。母は稲葉安。父利三は明智光秀重臣で、天正10年(1582年)、光秀が主君織田信長を討った本能寺の変に実行部隊として参加、光秀が山崎の戦いで羽柴秀吉に討たれると捕らえられて処刑。福は母や兄とともに外祖父稲葉一鉄の庇護を受けます。伯父稲葉重通の娘(稲葉正成室)が早世すると、重通の養女として正成の後室になりました。正成は小早川秀秋家臣でしたが、慶長7年(1602年)、秀秋が21歳で死去して小早川家が断絶すると浪人となりました。慶長9年、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の嫡子竹千代の乳母となり、夫と離縁して大奥入り。元和6年(1620年)、竹千代は元服して徳川家光となり、元和9年、3代将軍となります。同年、福の子稲葉正勝が老中に出世。福は将軍様御局として将軍に仕えるすべての女性たちを取り仕切り、女性官僚制度である江戸城大奥を確立します。寛永6年(1629年)、上洛して後水尾天皇と中宮徳川和子(家光の妹)に拝謁、従三位と春日局の名を受けます。寛永9年、従二位。正勝が小田原藩主に登用。晩年、福は病床につきますが、家光の病を治す代わりに生涯薬を飲まないと願掛けしたとして、けして薬を口にしなかったとされます。寛永20年死去。

 

 

 

お福像;兵庫県丹波市春日町黒井