伊豆の国にある願成就院です。

 

 

天守君山願成就院という高野山真言宗の寺。

開基は北条時政。時政は伊豆韮山に領地を持つ小豪族でしたが、長女の政子が源頼朝と結婚したことから挙兵に協力。鎌倉幕府初代将軍となった頼朝死後、2代将軍源頼家を追放して誅殺、12歳で3代将軍となった源実朝の業務を代行、初代執権となりました。

時政は本貫地である伊豆韮山にこの寺を創建。北条氏の氏寺で、時政死後も2代執権北条義時、3代執権北条泰時が伽藍建設を続行。発掘調査により苑池が発見されており、もとは浄土式庭園を備えた大寺院であったとみられています。

延徳3年(1431年)、北条早雲が堀越公方足利茶々丸を攻めた戦いで全焼、豊臣秀吉の小田原攻めでも全焼。宝暦3年(1758年)、河内佐山藩6代藩主北条氏貞が復興しました。

国の史跡。創建当時の運慶作などの国宝5体の仏像を所有。

  

 

大御堂。

平安時代末期、運慶作の木造阿弥陀如来坐像1体、木造不動明王及二童子立像3体、木造毘沙門立像1体の5体の国宝を安置しています。

 

   

 

北条時政公御墓。

北条時政(1138~1215)は鎌倉幕府初代執権。伊豆の小豪族でしたが、長女の政子が伊豆の流人源頼朝と結婚、頼朝を旗印に平家討伐の兵を挙げます。頼朝は石橋山の戦いで敗れるも再起して鎌倉入り。鎌倉幕府初代将軍となります。頼朝死後、外孫の源頼家が鎌倉幕府2代将軍就任。正治2年(1200年)、遠江守に任官。建仁3年8月、頼家が危篤となると、時政は頼家が死んだためその弟千幡を将軍にしたいと朝廷に使いを出します。頼家は若狭局(比企能員女)の産んだ一幡に家督を譲ろうとして時政と対立。同9月、時政は一幡の外祖父比企能員を自邸に呼び出し殺害。比企一族を滅ぼすと、将軍頼家を廃して伊豆修禅寺へ追放。12歳の千幡を元服させ、源実朝として3代将軍に擁立。外祖父として政務を代行、初代執権となります。元久元年(1204年)、頼家殺害。元久2年閏7月、後妻牧の方との娘婿で源氏門葉の平賀朝雅を将軍にするため実朝殺害計画を立てたとして、政子と義時に伊豆へ追放されます(牧氏の変)。建保3年(1215年)、伊豆で没。享年78歳。

 

 

 

願成就院;静岡県伊豆の国市寺家83-1