山科にある中臣遺跡碑です。

 

 

旧石器時代から室町時代までの大規模複合遺跡。

山科盆地の山科川と旧安祥寺川の合流地点より北に広がる丘陵地一帯に位置します。

昭和44年、地元の高校生が土器片を見つけたのを皮切りに、現在までに断続的に発掘調査が行われています。最初に土器片が見つかった場所の地名から中臣遺跡の名が付きました。平成7年(1995年)には旧石器時代2万年前のナイフ形石器が見つかっています。

この地には古くから、中臣十三塚古墳群よばれる古墳群があることで知られていました。大和王権に祭祀を持って仕え、中臣鎌足を輩出した豪族・中臣氏の所領であった地。中臣十三塚古墳群も中臣氏に関連するものと考えられています。周辺は宅地化され、中臣十三塚も原型をとどめるのは稲荷塚古墳宮道古墳のみとなっています。

 

 

 

この付近中臣遺跡碑:京都市山科区勸修寺東栗栖野