奈良にある井上神社です。

 

 

延暦19年(800年)、桓武天皇の命により怨霊鎮魂のため、元興寺南大門前に井上内親王を主祭神とする御霊神社が創建されます。周辺は井上郷と呼ばれました。宝徳3年(1451年)、徳政一揆により元興寺の主要堂宇や御霊神社は焼失。その後、御霊神社は焼け残った元興寺五重大塔の近くに移りました。御霊神社がもともとあった井上郷でもこの社が復興され、井上神社となりました。

 

 

本殿。

祭神は、井上内親王と他戸親王。

井上内親王(717~775)は聖武天皇の第一皇女。母は県犬養広刀自。養老5年(721年)、5歳で伊勢斎宮に卜定。神亀4年(727年)、伊勢下向。天平16年(744年)、同母弟・安積親王が17歳で死去、喪のため伊勢斎宮を解かれて28歳で帰京。その後、白壁王(天智天皇孫)と結婚。天平勝宝6年(754年)、酒人内親王、天平宝字5年(761年)、他戸親王を出産。神護景雲4年(770年)、異母妹・称徳天皇が薨去。宝亀元年(771年)10月1日、夫の白壁王が62歳で即位して光仁天皇となり、同11月6日、皇后となります。宝亀2年1月23日、他戸親王が立太子。宝亀2年、藤原永手(藤原北家)が死去、藤原百川(藤原式家)が台頭。宝亀3年3月2日、光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、同5月、他戸親王も廃太子。宝亀4年10月、難波内親王(光仁天皇同母姉)が死去したのは井上内親王の呪詛のせいであるとして、他戸親王とともに庶人に落とされ、宇陀郡没官宅に幽閉されます。宝亀6年4月27日、幽閉先で他戸親王と同日に死去。享年、59歳。

他戸親王(761~775)は光仁天皇皇子。母は井上内親王。宝亀元年、父光仁親王が即位。宝亀2年1月23日、皇太子。宝亀3年3月、母井上内親王が父光仁天皇を呪詛したとして皇后を廃され、同5月、他戸親王も連座して廃太子となります。宝亀4年1月2日、異母兄・山部親王(後の桓武天皇)が立太子。同10月、難波内親王が死去したのは井上内親王の呪詛のせいであるとして母井上内親王とともに庶人に落とされ、宇陀郡没官宅に幽閉。宝亀6年4月27日、幽閉先で井上内親王と同日に死去。享年、15歳。

 

 

 

井上神社;奈良市井上町17