淡路島にある当麻陵です。

 

 

淳仁天皇陵の南約500メートルの場所にあります。

淳仁天皇の母・当麻山背の陵墓に比定され、宮内庁が管理しています。当麻山背は淳仁天皇が配流となった際に淡路国へ同行しており、この地で没したとされます。

 

 

当麻陵。

当麻山背(生没年不詳)は舎人親王(天武天皇第六皇子)妃。父は、上総守当麻山背。天平5年(733年)、舎人親王の末子である大炊王を産みます。天平7年、舎人親王没。大炊王は、光明皇后の甥として権力を握った藤原仲麻呂の長男、真従の未亡人である粟田諸姉を娶って仲麻呂の邸に住み、天平宝字2年(758年)、仲麻呂の後見を受けて践祚、淳仁天皇となります。母の山背は従三位大夫人となり、すでに亡くなっていた舎人親王は崇道尽敬皇帝と諡号されました。藤原仲麻呂は恵美押勝の名を受けて政を行いますが、天平宝字元年、後ろ盾であった光明皇太后が崩じると失速。天平宝字8年9月、押勝は兵を挙げるも孝謙太上天皇に敗れ処刑されます(恵美押勝の乱)。同10月9日、押勝が後見していた淳仁天皇は廃帝となって親王扱いとなり、同日、母山背とともに平城宮の小子御門から馬に乗せられ淡路へ送られました。天平神護元年(765年)10月22日、大炊親王は配流先の淡路の配所から脱走を試みて捕えられ、翌23日、没。殺害されたとも言います。この時、山背の動向は描かれず、すでに亡くなっていた可能性もあるということです。

 

 

 

当麻墓;兵庫県南あわじ市賀集