蒲生にある音羽城跡です。
 
 
蒲生貞秀・秀行・秀紀の居城。
蒲生氏は近江国蒲生郡日野に本拠地を置く土豪。鎌倉時代初期頃から領主を勤め、当初は小御門に居館を構えていました。小御門の名は南朝・守良親王が匿われたためといいます。
室町時代の文明応仁年間頃、足利将軍に仕えた蒲生貞秀が音羽城を築城。延徳2年(1490年)、室町幕府10代将軍・足利義材が六角氏を征討した延徳の乱では、貞秀は将軍に味方して所領安堵を受けます。明応4年(1495年)、貞秀は長男・秀行に家督を譲って隠居。秀行は永正8年(1511年)、将軍義植(義材から改名)が足利義澄を匿う六角氏被官・久里信隆の水茎岡山城を攻めた際に将軍側で参加するなど引き続き幕府に仕えます。永正10年、秀行が没すると、貞秀の次男・高郷が家督相続を望みますが、貞秀は嫡孫の秀紀を後継者に指名、秀紀が当主となりました。貞秀は永正11年に没。秀紀は叔父・高郷の娘を娶り表向きは平穏でしたが、大永2年(1522年)、六角定頼の支援を受けた高郷が秀紀を攻め、音羽城を包囲。8か月の籠城戦の末、大永3年、六角定頼の仲介により和議が結ばれ、秀紀は高郷の子・定秀に家督を譲り、音羽城を出ます。この時、音羽城は破却されました。
秀紀は音羽城の支城であった鎌掛城に移りますが、大永5年、高郷・定秀の刺客に毒殺されたといいます。一方、蒲生定秀は新たに日野城(中野城)を築城、居城としています。
 
 
現在の登山道。
 
 
向かって左手が本丸跡、右手が二の丸跡。
現在は平坦な公園に整備されています。
 
 
土塁跡。
 
 
屋敷跡。
 
 
士屋敷跡。
 
 
 
音羽城跡;滋賀県蒲生郡日野町音羽