蒲生にある馬見岡綿向神社です。

 

 

古代、綿向山を御神体として崇拝した社。

平安時代の延暦15年(796年)、綿向山頂上の神霊の里宮として創建されたとされ、現在も綿向山山頂にある大嵩神社を奥宮と称しています。延喜式に馬見岡神社二座とされるうちの一座に比定されています(もう一座は近江八幡の馬見岡神社か)。

蒲生家が氏神として信仰し、日野城主・蒲生定秀が祭礼を復興、蒲生賢秀が社殿を寄進しました。江戸時代には日野商人たちの帰依を受け、現在の社殿は日野商人の寄進によります。また、豪勢な曳山を出す祭礼・日野祭が継承されています。

 

 

拝殿。

 

 

本殿。

宝永4年の建造物。

祭神は、天穂日命、天夷鳥命、武三熊大人命。

 

 

付近の公園にある日野祭曳山のモニュメント。

日野は蒲生家の城下町として発展。蒲生家が転封になった後も商人の一部は日野に残り、五箇荘や近江八幡とともに近江商人の一角をなしました。日野商人が崇拝した馬見岡綿向神社の祭礼・日野祭では、日野商人たちが贅を凝らした曳山を出し、現在にまで伝わります。こちらのモニュメントは曳山「八景閣」をモデルにして制作されたもの。

 

 

 

馬見岡綿向神社;滋賀県蒲生郡日野町村井705