竜王にある雪野山大橋です。
日野川にかかる橋。雪野山の麓にあります。
「万葉集」にある額田王の歌、「あかねさす 紫野行き 標野の行き 野守は見ずや 君が手を振る」のト書きには「天皇の、蒲生野に遊猟したまひし時に額田王の作れる歌」とあり、近江大津宮に遷都した天智天皇が蒲生野で猟をした際に詠まれたものとしています。
この歌が詠まれた蒲生野は現在の蒲生郡や東近江市などを差し、鹿や兎を追ったことから丘陵地であったとされ、船岡山や雪野山が候補地となっています。
雪野山を見渡せる雪野山大橋の欄干に、この歌にちなんで額田王と大海人皇子の像が建てられています。
額田王の像。
額田王(生没年不詳)は、飛鳥時代の宮廷歌人。父は鏡王。斉明、天智、天武、持統天皇に仕え、斉明天皇が白村江の戦いに出陣した際には兵士を抑揚する歌を、天智天皇の喪などにも歌を残しています。大海人皇子(後の天武天皇)若年期の妃で、第一皇女・十市皇女を産んでいます。
「あかねさす 紫野行き 標野ゆき 野守は見ずや 君が袖振る 額田王」
大海人皇子の像。
大海人皇子(天武天皇/?~686)は40代天皇。父は舒明天皇。母は皇極(斉明)天皇。兄天智天皇死後、壬申の乱に勝利して天武天皇として即位しました。
「紫野の 匂へる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋めやも 大海人皇子」
額田王の歌に対する返歌。
万葉集では詠み人が「皇太子」とあることから、「日本書紀」で天智天皇の皇太弟であったとする大海人皇子が、かつての妃・額田王に人目もはばからず袖を振る未練の歌であると解釈されていました。天智天皇の皇太子は大友皇子(天智天皇皇子/正妃は十市皇女)であったともされ、その場合、娘婿から義母への社交辞令の歌と解釈されるようです。
雪野山。
中腹にある4世紀頃築造の雪野山古墳から発見された副葬品は重要文化財に指定されています。また、室町時代末期には、六角家重臣・後藤義豊により、後藤氏の居館・羽田館の詰城として雪野山城が築かれました。後藤義豊は、永禄6年(1563年)、主君・六角義治によって六角氏の主城・観音寺城で暗殺されています(観音寺騒動)。
雪野山大橋;滋賀県蒲生郡竜王町川守





