桂にある桂離宮です。

 

 

宮内庁が管理する離宮。

後陽成天皇の弟・智仁親王は、天正14年(1586年)、関白豊臣秀吉の猶子となりますが、天正17年、鶴松誕生により猶子解消。このとき秀吉より領地を受けたことから宮家を設立。八条宮と称します。元和元年(1615年)頃より下桂の現在地に別業(別荘)を造営開始。現在の古書院がこのときに造営されました。

八条宮2代・智忠親王は、寛永19年(1642年)、加賀藩3代藩主・前田利常の四女、富姫と結婚。姻戚となった加賀百万石前田家より資金援助を受けたことにより、桂別業を大規模に増築。中書院、茶屋(現存するものは4つですが、当時は5つ)、庭園などはこの頃に造られ、ほぼ現在の景観となりました。寛文2年(1662年)、翌年の後水尾上皇の行幸を控え、新御殿増築。智忠親王は子がなく穏仁親王(後水尾天皇第十一皇子)を養子としており、同年、智忠親王が没したことから寛文3年の後水尾上皇行幸は穏仁親王のときに行われました。

八条宮家は常盤井宮家、京極宮家と名を変えた後、桂宮家と呼ばれるようになります。桂宮家は何度も絶え、天皇家から養子を迎えましたが、明治14年(1881年)、桂宮家11代・淑子内親王(仁孝天皇第三皇女)の薨去をもって断絶しています。

明治16年、桂離宮と改称。宮内省の管理となります。昭和24年(1949年)、総理府設置法により宮内庁管轄となっています。

桂離宮は、2016年7月26日より、通年公開が行われています。先頭に説明の方、最後尾に皇宮警察がついて団体での鑑賞となるため、一回の観覧数に制限があり、宮内庁に申し込む必要があります。申し込み方法は、往復葉書、インターネット、宮内庁京都事務所窓口での事前申し込みの他、当日拝観枠があり、午前11時より先着順。拝観時間は9時、10時、11時、13時半、14時半、15時半の一日6回、時間指定。所要時間は約1時間です。

 

 

御幸道。

 

 

御幸門。

かつて離宮の正門であった萱葺き屋根の門。

 

 

外腰掛の前の蘇鉄。

外腰掛は茶会に招かれた客の控室。

南方の植物である蘇鉄は京都に自生しておらず、薩摩藩島津家からの献上品とのこと。

 

 

池泉回遊式庭園。

池に面して、古書院、中書院、新御殿、趣向を凝らした4つの茶屋が配置されています。中央の池を横断する石組は天橋立を模したもの。

 

 

州浜の先の石灯籠は灯台を模しているとのこと。

 

 

松琴亭。

茶室。

 

 

松琴亭内部。

斬新な青と白の市松模様。

 

 

こちらの棚の下は、焼いた石を入れる石炉になっています。

松琴亭は冬の茶室であり、上の棚の中に弁当を入れて下から温め、冷めないようにしていたそうです。

 

 

賞花亭。

茶室。

 

 

賞花亭からの景色。

賞花亭は花を観賞するための夏の茶室。桂離宮では最も高い場所にあります。

 

 

園林堂。

持仏堂。

かつて桂宮家の位牌が置かれていましたが、桂宮家は断絶しており、現在は何も置かれていないとのこと。

 

 

笑意軒。

茶室。

目の前は船着き場になっており、船へ乗り降りするための石段があります。

 

 

笑意軒の内部。

杉戸の取手が弓矢型になっています。

 

 

こちらは船の櫂の形。

 

 

笑意軒からの景色。

この場所は桂離宮内で唯一、離宮外の風景が鑑賞できるようになっています。

窓枠の下には当時の日本にはなかった外来品のびいどろが貼られています。

 

 

書院。

右から古書院、中書院、新御殿。

床を上げ、高床式で建てられています。かつて、桂離宮は東を流れる桂川から水を引き桂川と同じ水位があり、洪水に備えてこのように造られたそうです。

 

 

月波楼。

茶室。

 

 

月波楼の天井。

船底をイメージして造られています。

 

 

月波楼からの景色。

月波楼は船上から水面に写る月を鑑賞する風情で造られており、船の中にいるような意匠がなされています。対岸に見えているのは松琴亭。

 

 

 

桂離宮;京都市西京区桂御園