護王社〜橘氏公・橘逸勢を祀る社 | 古都の礎

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梅津にある護王社です。

 

 

梅宮大社の摂社。

橘氏公と橘逸勢を祀ります。

 

 

本殿。

元禄13年(1700年)の建造物。

祭神は、橘氏公と橘逸勢。

橘氏公(783~848)は平安時代の貴族。橘清公の七男。母は粟田小松泉子。橘嘉智子(檀林皇后)の異母兄。弘仁6年(815年)、異母妹の嘉智子が嵯峨天皇の皇后になり、出世。弘仁13年、蔵人頭兼右近衛中将。天長10年(833年)、甥の仁明天皇が即位。承和5年(838年)、中納言。承和9年、承和の変で従弟の橘逸勢が首謀者の一人とされて橘氏が排斥されるも、氏公は檀林太皇太后の庇護により無傷であったとされます。同年、大納言。承和11年、右大臣。承和14年、65歳で死去。

橘逸勢(?~842)は平安時代の貴族。嵯峨天皇、空海とともに三筆の一人。橘入居の子。橘嘉智子(檀林皇后)の従弟。延暦23年(804年)、遣唐使として入唐。大同元年(806年)、帰国。承和7年(840年)、但馬権守。承和9年、仁明天皇を廃して皇太子・恒貞親王を東国へ連れ去り天皇に担ごうとしたと讒言され伴健岑と共に捕縛。杖で叩かれる拷問を受けますが白状せず、仁明天皇の命により伊豆国へ配流(承和の変)。伊豆へ流される途中、遠江国において60余歳で死去。

 

 

 

護王社;京都市右京区梅津ホケノ川町30