高島にある三重生(みおう)神社です。

 

 

現地は古く三尾野と呼ばれ、北近江と越前に勢力を持った古代豪族・三尾氏の勢力地でした。三尾氏出身で彦主人王に嫁いだ振媛はこの社の拝殿を産所として男大迹王(後の継体天皇)を産んだと伝承されるそうです。彦主人王は系図などから近江の古代豪族・息長氏との関連が言われ、また、この社の西にある田中王塚古墳は彦主人王陵として宮内庁が陵墓参考地に比定しています。

 

 

拝殿。

 

 

本殿。

祭神は、彦主人王と振媛。

彦主人王は記紀によれば応神天皇五世孫とされる人物。近江の古代豪族・息長氏の出身。「記紀」では応神天皇の四世孫としています。息長氏は近江国坂田郡(現在の滋賀県米原市)に本拠地においていましたが、三尾野と呼ばれたこの地の別業(別荘)があり、男大迹王(後の継体天皇)5歳の時にこの地に置いて死去。社の西にある田中王塚古墳は安曇陵墓参考地として宮内庁により彦主人王陵の陵墓参考地になっています。

振媛は記紀によれば垂仁天皇七世孫とされる人物。越前と北近江に勢力を持った古代豪族・三尾氏の出身。越前国高向(現在の福井県坂井市)で育ち彦主人王に嫁ぎ、近江国高島郡三尾野(現在の滋賀県高島市)に住みました。彦主人王が没したため男大迹王を連れて里の高向に帰り、彦主人王の死から13年後に没。

 

 

石造宝塔。

鎌倉時代頃のものとされるそうです。

 

 

 

三重生神社;滋賀県高島市安曇川町常盤木1239