粟田口にある十楽院上陵です。

 

 

この地にはかつて、平安時代の永久3年(1115年)、延暦寺の僧・忠尋によって創建された天台宗の十楽院がありました。十楽院には後堀河天皇が即位前に入寺していたほか、花園天皇廟所も築かれました。

鎌倉時代末期、三条白川にあった青蓮院が白川の反乱を避けて高台にあった十楽院の場所に移転。この時に十楽院は青蓮院に合併吸収されたと考えられるそうです。

旧境内地には、明治時代に整備された花園天皇十楽院上陵が残ります。

 

 

花園天皇十楽院上陵。

花園天皇(1297~1348)は92代天皇。伏見天皇の第四皇子。母は洞院季子。諱は富仁。当時、両統迭立により大覚寺統と持明院統は10年交代で天皇を出す決まりになっていました。延慶元年(1308年)、大覚寺統・二条天皇の急死により12歳で即位。父伏見上皇が院政を執り、伏見上皇崩後は兄後伏見上皇が院政を執りました。文保2年(1318年)、両統迭立により大覚寺統・後醍醐天皇に譲位して22歳で退位。後醍醐天皇は両統迭立の期限である10年が過ぎても退位せず鎌倉幕府を滅ぼし、建武元年(1334年)、建武の親政を行います。建武2年、出家。興国3年(1342年)、離宮の花園に妙心寺を創建。正平3年(1348年)、花園萩原殿において52歳で崩。文化人であり、日記「花園天皇宸記」はこの時代の一級史料。「風雅和歌集」の監修も行っています。

 

 

 

十楽院上陵;京都市東山区粟田口三条坊門町