太秦にある木嶋坐天照御魂神社です。

 

 

木嶋の社名はこんもりとした木々が島のように見えたことからの名とされています。

広隆寺から400メートルほどの場所にあり、山城国葛野郡に勢力を持った渡来系豪族秦氏が本拠地を置いていた地域。付近からは弥生時代の祭祀遺跡が発掘されており、5世紀とされる秦氏の渡来以前から祭祀の場とされていた可能性があるそうです。

元糺の池と呼ばれる境内池には三柱鳥居が建てられており、雨乞いなどの祭祀が行われていました。平安京遷都以降は、山城五社の一つとして貴族の参拝も多かったそうです。

秦氏は養蚕や機織技術に優れた渡来者集団であり、本殿の隣には蚕の神を祀る摂社・蚕養神社が鎮座。この社によって蚕ノ社の別名があります。

 

 

参道。

 

 

拝殿。

 

 

神門。

この正面に本殿。

祭神は、天之御中柱命、大国魂神、穂々出見命、鵜矛葺不合尊、瓊々杵尊の5柱。

 

 

三柱鳥居。

元糺の池と呼ばれる窪んだ場所に建てられています。

現在は池の水が枯れていますが、かつては湧き水で満たされており、雨乞いの祭祀が行われていたそうです。下鴨神社境内が糺の森と呼ばれるようになってからは、元糺と呼ばれたそうです。三方から神を拝むために組まれた三柱鳥居は、京都三鳥居のひとつ(残る鳥居は京都御苑厳島神社の唐破風鳥居、伴氏社の石造鳥居の2つ)。

 

 

蚕養神社。

木嶋坐天照御魂神社の摂社で、本殿の東に鎮座しており、東本殿とも呼ばれます。

祭神は、保食神、蚕の神、木花咲耶姫命。

由緒は不詳ですが、養蚕や織物に優れた技術を持っていた秦氏に関連していると考えられています。

 

 

 

木嶋坐天照御魂神社;京都市右京区太秦森ヶ東町町50