裏寺町通蛸薬師下るにある常楽寺です。

 

 

雲松山常楽寺といい、浄土宗西山禅林寺派の寺。

室町時代の永享元年(1429年)、顕海相厳が油小路大炊御門に創建したと伝えられます。天正19年(1591年)、豊臣秀吉の都市改造により、現在地に移転しました。

境内には麻田時太郎の墓があります。

麻田時太郎(?~1864)は幕末の土佐藩士。元治元年(1864年)6月5日、池田屋事件において長州を中心とする尊王攘夷派志士の粛清を行った新選組は、京都守護職の会津藩主・松平容保より残党狩りを命じられ、会津藩士らと共に捜索。同10日、京・東山の料亭、明保野亭にいた麻田時太郎を残党と勘違いした会津藩士・柴司が背後から斬りかかるも、麻田が名乗ったため土佐藩邸へ引き取らせます。翌11日、土佐藩は、後ろ傷を受けたことは武士にあるまじき非だとして、麻田時太郎を切腹させます。この決定に土佐藩士たちが反発。麻田のみが咎めをうけるのは喧嘩両成敗にならないと柴司の処分を求め騒動となります。土佐藩からの申し入れに窮地に陥った松平容保の苦境を思い、柴司は自主的に切腹しました(明保野亭事件)。切腹した麻田時太郎がこの寺に葬られています。

洛陽四十八願所地蔵尊巡り32番札所(弟児地蔵)。

 

 

本堂。

本尊・阿弥陀如来像を安置します。

 

 

 

常楽寺;京都市中京区裏寺町通蛸薬師下る裏寺町598