近江八幡にある日牟禮八幡宮です。


日牟禮八幡宮

 

成務天皇の頃、大嶋大神を祀って創建されたと伝わる古社。

応神天皇が立ち寄って日群(ひむれ)之社と呼んだことが社名の由来とされます。正暦2年(991年)、一条天皇の勅願により宇佐八幡宮を勧請して鶴翼山上に上社を創建。寛弘2年(1005年)、遥拝所として麓に下社を創建。上社、下社からなっていました。鶴翼山はこの社により八幡山の別名があります。

安土桃山時代、鶴翼山上に羽柴秀次の居城・八幡山城が築かれたため、上社は麓の下社に合祀されます。上社は日杉山に新たな社地を受けるはずでしたが秀次自刃により再建はされず、以来こんにちまで下社の場所に上社が合祀された形で存続しています。文禄4年(1595年)、八幡山城は廃城となりますが、八幡山城の城下町は残り、八幡近江商人として江戸時代に繁栄。この社は八幡商人たちの信仰を受けました。

日牟禮八幡宮の左義長祭は、もともと織田信長が安土城下ではじめ、信長も庶民と一緒に舞い踊ったと伝わる奇祭。八幡山城を築いた時に安土の城下町から商人たちを八幡山城下へ呼びよせた際に、日牟禮八幡宮の祭礼となり定着したとのことです。

神仏霊場巡拝の道142番(滋賀10番)札所。


日牟禮八幡宮

 

楼門。


日牟禮八幡宮

 

拝殿。


日牟禮八幡宮

 

本殿。

祭神は、誉田別尊、息長足姫尊、比売神。

日牟禮八幡宮

 

能舞台。

 

 

 

日牟禮八幡宮;滋賀県近江八幡市宮内町257