近江八幡にある八幡山城です。


八幡山城

 

安土桃山時代、標高283メートルの鶴翼山(八幡山)に築かれた山城。

天正13年(1585年)、羽柴秀吉が関白就任。同年、秀吉は安土城の三法師(後の織田秀信)を坂本城に移して廃城とし、紀州征討の恩賞として甥の羽柴秀次に近江八幡43万石(秀次に20万石、家臣に23万石)を与えると、新たな近江支配の拠点として天下普請によって安土城の南約5キロの場所にある鶴翼山(八幡山)に築城を開始します。

八幡山城は頂上に本丸があり、西の丸、北の丸、二の丸、三の丸、やや下段に出丸を配し、本丸西側に天守がありました。八幡山中腹の南斜面に多くの郭を造り、最上部に秀次居館、それに続き家臣屋敷を配しました。麓には琵琶湖から水を引きこんだ八幡掘を作り防御としたほか、運河として物資や商品の輸送にも用いました。八幡城下には縦十二筋、横四筋の碁盤の目状の区画割を作り、安土城下の商人たちを移して楽市を敷いたといいます。

天正14年、秀吉は朝廷から豊臣姓を受け、秀次も豊臣を名乗ります。天正18年、秀次は秀吉から尾張・伊勢北部の100万石を与えられて尾張清須城に転封。八幡山城には京極高次が2万8000石で入城します。天正19年、秀次は秀吉から関白と聚楽第を譲られますが、文禄4年(1595年)、秀吉の命令で高野山において自刃。聚楽第は破壊され、かつて秀次の居城として建造された八幡山城も廃城となります。京極高次は大津城に転居しました。

昭和38年(1963年)、本丸跡に瑞龍寺が移転。昭和39年、麓から八幡山城二の丸跡まで近江鉄道が運航する八幡山ロープウェー創業。現在、地表には石垣などを残すのみですが、発掘調査により中腹の秀次居館跡から大量の瓦が見つかっています。


八幡山城
八幡山城

 

西の丸跡。

八幡山城

 

西の丸跡から南西方向を見たところ。

琵琶湖が臨めます。琵琶湖の奥の山脈は比良山系。


八幡山城

 

北の丸跡。


八幡山城

 

北の丸跡から北方向を見たところ。

手前の山が、織田信長が安土城を築いた安土山。

中央の水地は西湖、手前が八幡掘。


八幡山城

 

本丸の石垣。

全体は野面積みで、端は石を加工した算木積み。

この上が本丸跡で、現在は、瑞龍寺が建っています。

 

 

 

八幡山城;滋賀県近江八幡市宮内町