和歌山にある養翠園です。


養翠園

 

紀州藩10代藩主徳川治寶が築いた庭園。

徳川治寶(1771~1853)は、紀州藩8代藩主徳川重倫の次男。安永4年(1775年)父重倫が隠居、大叔父の徳川治重が9代藩主となり、寛政元年(1789年)、治重の死去により19歳で10代藩主となりました。和歌山城下に藩校・医学館、江戸紀州藩邸に明教館の創設。「紀伊続風土記」の編纂命令。国学者の本居宣長を庇護して紀州藩が城代を置いていた松坂に庇護し本居宣長の「古事記伝」の題字を書くなどします。文政6年(1823年)、百姓一揆の責任を取って52歳で隠居。男子なく五女・豊姫の婿として清水家から迎えた徳川斉順(江戸幕府11代将軍・徳川家斉七男)が紀州藩11代藩主となります。斉順の死後はその異母弟徳川斉彊が12代藩主となり、斉彊の死後は斉順の子慶福(後の江戸幕府14代将軍・徳川家茂)が13代藩主となりました。治寶は斉順・斉彊・慶福の3代にわたって影響力を持ちました。

こちらは、文政元年(1818年)、治寶が建造を開始し、文政9年完成したもの。養翆園の北東にはかつて紀州藩別邸の西浜御殿(現存せず)があり、こちらはそれに付随する庭園として造られました。治寶は隠居後は西浜御殿に住み、ここは都から文化人を招いた接待などに用いたと言います。

国の名勝。


養翠園

 

長屋門。


養翠園

 

池泉回遊式庭園。

和歌山湾から海水を引き入れた汐入の池で、海の干満によって池の水位も変わるそうです。


養翠園

 

三ツ橋。

アーチ型の橋が3つ連なっています。


養翠園

 

守護神島。

稲荷社と弁天社が祀られています。


養翠園

 

養翆亭。

茶室。

文政4年の建造物。

養翠園

 

養翠亭付近からの眺望。

背後の天神山を借景にしています。

 

 

 

養翠園;和歌山市西浜1148