黒谷にある西雲院です。
金戒光明寺の塔頭。
開基は宗厳。宗厳は李氏朝鮮の人で、安土桃山時代の慶長文禄の役で捕らえられ、日本に連れて来られました。常陸片野藩初代藩主・滝川雄利の息女に仕えましたが、慶長10年(1605年)、この息女が17歳で死去。雄利は娘の菩提を弔うために金戒光明寺に塔頭の龍光院を創建。宗厳はこの時に出家、龍光院にある雄利息女の墓前で念仏を唱える日々を送ります。元和2年(1616年)、宗厳が金戒光明寺に塔頭として開いたのがこの寺になります。このとき金戒光明寺27世・了的は浄土宗開祖・法然が腰かけたと伝わる紫金石を宗厳に与えたといいます。
幕末動乱期の京や鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍として戦い戦死した会津藩士たちの墓所・会津藩殉難者墓地が金戒光明寺に造られており、西雲院が管理しています。
本堂。
紫雲石。
承安5年、比叡山を降りた浄土宗開祖・法然が黒谷のこの地でこの石に腰かけていたところ紫雲がたなびき小庵を結んだ(金戒光明寺の原型)という故事を持つ石。金戒光明寺はこの故事により紫雲山の山号を持ちます。
西雲院;京都市左京区黒谷町121