修学院にある雲母寺跡です。
雲母寺は平安時代初期、天台宗の僧・相応によって創建された天台宗の寺。
雲母(きらら)坂の登り口にあったため、この名があります。
比叡山延暦寺への登り口はかつて30近くあり、このうち表参道は比叡山東側の近江国坂本から登る本坂でした。雲母坂は比叡山西側の山城国側から登るルートで、京から比叡山延暦寺へ登る最短距離であったため都からの主要道として多用されました。雲母坂の名の由来は諸説ありますが、この坂に多い花崗岩に含まれる雲母がキラキラ光って見えたことによるという説があります。比叡山延暦寺の門主である天台座主は朝廷が任じることになっていましたが、勅使(天皇の使い)も用いた道であることから勅使坂の別名があります。また、雲母坂の入口にあった雲母寺の本尊が不動明王像であったことから不動坂の別名もありました。
雲母寺はかつて、林丘寺の東に大きな敷地を持っていました。しかし、明治時代に廃絶。本堂と本尊・不動明王像は赤山禅院に遷されました。
現在は、碑が建つのみです。
雲母寺跡碑のすぐ横から、急勾配な雲母坂の山道が続きます。
現在も登山可能な山道で、約5キロで比叡山延暦寺の本堂である根本中堂に至るそうです。
雲母寺跡碑の付近。
「親鸞聖人御旧跡 きらら坂」の碑。
かつて比叡山延暦寺で修行をした親鸞は、延暦寺での自力救済の修行に限界を感じて29歳のとき比叡山を降り、京の六角堂に百日参籠し、夢のお告げで法然のもとに参じたとされます。親鸞もこの雲母坂を用いたことから碑が建てられています。
雲母寺跡碑の付近、雲母橋。
雲母寺は音羽川の北側に、音羽川に面して建っていました。
現在も現地には音羽川が流れ、雲母橋がかかっています。
雲母寺跡;京都市左京区修学院町





