大徳寺の塔頭。
古く、この地は紫野と呼ばれ、淳和天皇の離宮・紫野院が営まれました。天長9年、淳和天皇が紫野院に行幸した際、雲林亭と改名されたと言います。雲林亭は淳和天皇の甥仁明天皇から、その子常康親王に伝えられます。承和11年(844年)、雲林亭は雲林院と改められ、貞観11年(869年)、常康親王が帰依していた僧正遍照に与えられ、天台宗の寺となります。元慶8年(884年)、雲林院は官寺となった後、元慶10年、遍照が創建した元慶寺(花山寺)の別院となりました。雲林院は「源氏物語」「大鏡」などの王朝文学にも登場、興隆しましたが、鎌倉時代に衰退しました。
正中元年(1324年)、雲林院の旧地が後醍醐天皇によって宗峰妙超に与えられ、大徳寺が創建されます。このときに雲林院は大徳寺の別院として復興され、臨済宗の寺となります。応仁の乱で荒廃、廃絶しました。
現在の雲林院は、江戸時代の宝永4年(1707年)、大徳寺291世・江西宗寛が大徳寺の塔頭として復興。幕末から無住職が続きましたが、1980年代に寛道宗信が復興して現在に至ります。
平成12年(2000年)、雲林院の境内東が発掘調査され、紫野院時代の池池跡、建物跡が発掘されています。
観音堂。
宝永4年(1704年)の建造物。
観音菩薩像を安置します。
手水舎。
雲林院;京都市北区紫野雲林院町