桜井にある稚桜神社です。
祭祀の時期は不明。小高い丘の上に建ちます。
式内社・磐余稚桜神社をこの社に充てる説があり、鳥居の横に碑が建てられています。
社名の稚桜とは履中天皇の宮である磐余稚桜宮に由来しているという説があり、この地は磐余稚桜宮跡の伝承地となっています(若桜神社も伝承地)。
磐余とは桜井市南西部の古い地名。「日本書紀」によれば、磐余に宮をおいた履中天皇は、履中2年、人工の溜池、磐余市磯池(磐余池)を作ったとされます。履中3年11月、履中天皇が妃たちと磐余市磯池に舟を浮かべて遊んでいると、どこからともなく桜の花びらが舞ったため、物部長真胆連に命じて季節外れの桜の花を探させたところ、長真胆連は掖上の室で桜を見つけ天皇に献上したため履中天皇は喜び、宮の名を磐余稚桜宮と改めたといいます。
平成23年(2011年)、稚桜神社の建つ丘陵地の北西、池尻町において人工の堤の一部が発掘され、余市磯池である可能性が指摘されました。しかし、年代が特定できる遺構は乏しく、堤の葺石は6世紀のものとみられ、後の時代に浸食から守るために葺石を敷いたとも考えられるものの未詳だということです。
磐余の地には履中天皇の磐余稚桜宮以外にも、清寧天皇の磐余甕栗宮、継体天皇の磐余玉穂宮、用明天皇の磐余池辺双槻宮があったと記紀にあるものの、いずれの宮跡も遺跡はまだ発掘されていないとのことです。
参道。
拝殿。
本殿。
祭神は、出雲色男命。
出雲色男命は、桜を探し出し履中天皇に献上した物部長真胆連の祖先とされる人物。
履中天皇と神功皇后を合祀します。
手水舎。
稚桜神社;奈良県桜井市池ノ内1000




