堺にある上石津ミサンザイ古墳です。


古都の礎-上石津ミサンザイ古墳

 

百舌鳥古墳群に属する古墳。

全長320メートルの前方後円墳で、後円部径205メートル、後円部高25メートル、前方部幅237メートル、前方部高23メートル。日本第3位の規模を持ちます。現在の濠は一重ですが、平成6年の発見により、かつては二重の濠がめぐっていたことが分かったそうです。ミサンザイは「御陵(みささぎ)」が転じたものと考えられており、百舌鳥古墳群には「二サンザイ古墳」「土師二サンザイ古墳」が存在しています。

推定築造年数は5世紀前半。現在、宮内庁により「履中天皇 百舌鳥耳原南陵」に比定され、立ち入りが禁止されています。上石津ミサンザイ古墳の陪塚(埋葬施設はなく、副葬品を収めるための塚)、七観山古墳から出土した副葬品により、上石津ミサンザイ古墳は履中天皇の父とされる仁徳天皇陵に比定されている大仙山古墳よりも築造年数が古いとされており、被葬者は確定していません。


古都の礎-上石津ミサンザイ古墳
古都の礎-大仙陵古墳
古都の礎-上石津ミサンザイ古墳
古都の礎-上石津ミサンザイ古墳

 

宮内庁比定「履中天皇 百舌鳥耳原南陵」の看板。

古墳の南側に遥拝所が造られています。

 

 

 

上石津ミサンザイ古墳;大阪府堺市西区石津ヶ丘