八幡にある善法律寺です。


古都の礎-善法律寺

 

男山善法律寺という律宗の寺。

鎌倉時代初期、石清水八幡宮護国寺検校・善法寺宮清が、東大寺から実相坊円照を開山に迎え、自邸を寺に改め創建したと伝えられます。

善法寺家は、田中家とともに石清水祠官家。石清水八幡宮護国寺を創建した行教は紀氏で、行教が初代石清水検校、甥の安宗が初代石清水別当、安宗の弟紀御豊が初代石清水神主となりました。石清水の要職はしばらくは弟子などに譲られていましたが、平安時代末期頃からは紀氏が独占。鎌倉時代初期、紀氏は善法寺家と田中家に分かれ、石清水祠官家が成立。石清水祠官家は形式上は僧侶でありながら妻帯し、石清水の要職を世襲しました。

南北朝時代、観応の擾乱で男山に進出した南朝の後村上天皇が一時期、田中家に滞在。一方、善法寺家は北朝に味方。通清の娘・紀良子は、室町幕府2代将軍足利義詮の側室となります。3代将軍足利義満は善法寺家を外戚としていたことから、義満は20数回の石清水詣でを行い、善法律寺は足利将軍家の庇護を受けました。

慶応4年(1868年)、神仏分離令により石清水八幡宮は神社として存続。石清水八幡宮本宮に安置されていた御神体の僧形八幡大菩薩坐像、並びに石清水八幡宮頓宮に安置されていた宝冠阿弥陀如来坐像は、善法律寺に移されて現在に至ります。

現在は、唐招提寺の末寺になっています。


古都の礎-善法律寺

 

書院。


古都の礎-善法律寺

 

本堂。

本尊・僧形八幡大菩薩坐像を安置します。

本尊は、慶応4年(1868年)の神仏分離令まで、石清水八幡宮本宮に御神体として祀られていたもの。


古都の礎-善法律寺

 

大乗院五輪塔。

大乗院は石清水八幡宮護国寺の末寺で、幕末まで石清水八幡宮下院にありました。大乗院は鳥羽伏見の戦いで焼失、廃絶。五輪塔がこちらに移されました。

 

 

 

善法律寺;京都府八幡市八幡馬場28