大津にある石山寺です。


古都の礎-石山寺

 

石光山石山寺という東寺真言宗の寺。

寺伝によれば奈良時代の天平19年(747年)、聖武天皇の勅願により良弁が創建。寺名の石山とは、境内に硅灰岩が分布していたことからの名。当初は華厳宗の寺でした。寺伝によれば9世紀末、真言宗醍醐寺を創建した聖宝が石山寺座主を兼ね、このとき真言宗の寺になったといいます。

平安時代には貴族の熱い崇拝を受け、「枕草子」「和泉式部日記」「更級日記」「蜻蛉日記」などの多数の女流文学に登場。紫式部がこの寺に参籠して「源氏物語」須磨巻・明石巻を着想、この巻から書き始めたという伝承があります。

昭和49年、東寺を総本山とする東寺真言宗となっています。

西国三十三箇所13番札所。神仏霊場巡拝の道146番札所(滋賀14番)。


古都の礎-石山寺

 

境内にみられる硅灰岩。

石山寺の名の由来となりました。


古都の礎-石山寺

 

本堂。国宝。

平安時代中期に建造された正堂(内陣)と、慶長7年(1602年)に淀殿が寄進した礼堂(外陣)の、2つの時代の違う建物を相の間という空間でつなぎ、屋根を架け替えて一つの建物とした構造になっています。

本尊、如意輪観音菩薩像を安置します。


古都の礎-石山寺

 

本堂の一角にある源氏の間。

「石山寺縁起」「河海抄」によれば、寛弘元年(1004年)、賀茂斎院選子内親王の求めに応じて一条天皇中宮藤原彰子から新しい物語を作るように命じられた紫式部は、石山寺に参籠。石山寺から8月15日の月が琵琶湖に映る様を見て、貴人が十五夜を眺めながら都を恋しがる様子を着想。これが源氏物語須磨巻となり、須磨巻・明石巻から源氏物語が書き始められていったという記述から、造られています。

古都の礎-石山寺

 

観音堂。


古都の礎-石山寺

 

毘沙門堂。

江戸時代、安永2年(1773年)の建造物。


古都の礎-石山寺

 

御影堂。

室町時代の建造物で、重要文化財。

真言宗開祖弘法大師(空海)、石山寺開祖良弁、石山寺3代座主淳祐の三重意を祀ります。


古都の礎-石山寺

 

鐘楼。

鎌倉時代後期の建造物で、重要文化財。

古都の礎-石山寺

 

多宝塔。

国宝。

鎌倉時代初期の建久5年(1194年)、初代鎌倉幕府将軍源頼朝の寄進によるもの。年代の分かる多宝塔としては日本最古。

古都の礎-石山寺

 

紫式部像。

紫式部は石山寺に参籠して源氏物語を着想し、須磨巻・明石巻から書き始めたという伝承によって建てられました。

紫式部(生没年不詳)は平安時代中期の作家。越後守藤原為時女。藤原宣孝と結婚し賢子(大弐三位)を儲けるも、長保3年(1001年)、宣孝と死別。その後、一条天皇の中宮藤原彰子(上東門院)に出仕。著作に「源氏物語」「紫式部日記」。「小右記」によれば長和2年(1014年)に藤原実資の甥資平が皇太后彰子を訪問した際に取次に出た女房を「越後守為時女」とし、この頃までは宮仕えをしていたとみられていますが、以降は不詳。

 

 

 

石山寺;滋賀県大津市石山寺1ー1-1