大津にある園城寺(三井寺)です。


古都の礎-園城寺

 

長等山園城寺という天台寺門宗総本山。境内から湧き出る霊泉にちなんで「三井寺(みいでら)」の呼称があります。

古代、この地には大友氏の氏寺があったと推定されています。

貞観元年(859年)、比叡山延暦寺の僧・円珍(智証大師・後に比叡山延暦寺第5世天台座主)がこの寺を再興。貞観8年、円珍は園城寺を天台宗比叡山延暦寺の別院とし、初代園城寺長吏となります。円珍の没後、延暦寺は智証(円珍)派と慈覚(円仁)派に分裂。正暦元年(990年)、円珍派は比叡山を降り、園城寺に本拠地を置きます。以降、延暦寺が山門派と呼ばれるのに対し、園城寺は寺門派と呼ばれ、たびたび抗争しました。

天元4年(981年)、致平親王(村上天皇第三皇子)が園城寺で出家。円恵法親王(後白河天皇第四皇子)が園城寺長吏となって以降、園城寺長吏はたびたび皇族の勤めるところとなります。多くの僧兵を抱えて源平合戦では以仁王と源頼政が園城寺に身を寄せ、南北朝動乱では足利尊氏に味方しました。山崎の戦いでは明智光秀の居城坂本城を攻める羽柴秀吉が本陣を置きました。文禄4年(1595年)、豊臣秀吉が廃絶を命じますが(理由は不明)、慶長3年(1598年)、秀吉自身が再興を命じ、秀吉の正室ねね寄進による金堂・閼伽井屋が現存します。江戸時代には三院四十九坊五別所二十五坊がありましたが、明治以降、衰退。明治9年、中世以来、中院・北院・南院に分かれていた園城寺を一院に統合。昭和21年、天台宗から独立し、天台寺門宗となりました。

神仏霊場巡拝の道147番札所(滋賀15番)。

 

古都の礎-園城寺

 

仁王門。

室町時代、宝暦4年(1452年)の建造物で、重要文化財。

もとは甲賀の常楽寺にあった楼門で、豊臣秀吉が伏見城内に移築。慶長6年、徳川家康が伏見城から移築寄進しました。


古都の礎-園城寺

 

釈迦堂。

室町時代の建造物で、重要文化財。

釈迦如来像を安置します。


古都の礎-園城寺

 

金堂。

園城寺の本堂。

慶長4年、豊臣秀吉の正室・北政所ねねの寄進によるもので、国宝。

本尊の弥勒菩薩像(秘仏)を安置します。


古都の礎-園城寺

 

閼伽井屋。

霊泉「三井の霊泉」の上に造られた覆屋。

慶長5年、北政所ねねの寄進によるもので、重要文化財。


古都の礎-園城寺

 

三井の霊泉。

閼伽井屋の内部にあります。

もともとは御井(みい)と言っていたものに三井に文字が当てられたといいます。園城寺の別称・三井寺の由来となりました。


古都の礎-園城寺

 

一切経蔵。

室町時代の建造物で、重要文化財。

もとは周防国・国清寺にありましたが、慶長7年、毛利輝元が移築寄進しました。

 

 

 

園城寺(三井寺);滋賀県大津市園城寺町246