羽曳野にある壺井八幡宮です。
寛仁4年(1020年)、河内守となった源頼信(源満仲の四男)は、河内に赴任し、香呂峰と呼ばれていたこの地に邸宅を構えて土着。河内源氏の祖となりました。
その子源頼義は、永承6年(1051年)、奥州安倍氏の乱鎮圧に向かう際、石清水八幡宮で戦勝祈願。12年を経て安倍氏を滅ぼします(前九年の役)。康平7年(1064年)、頼義は香呂峰の居館東側に石清水八幡宮を勧請。境内から湧き出る壺井水にちなんで付近の地名を香呂峰から壺井に変え、社の名も壺井八幡宮としました。壺井八幡宮は河内源氏の氏神とされました。
源頼義は鶴岡八幡宮も創建。末裔の鎌倉幕府初代将軍源頼朝は鎌倉に本拠地を置き、鶴岡八幡宮を源氏の主神と定めたため、その後は石川源氏の祭祀によるところとなりました。
戦国時代の戦火により社殿を焼失。現在の社殿は、江戸時代の元禄年間、河内源氏の末裔を称していた江戸幕府徳川将軍家によって寄進されたものです。
二の鳥居。
神門。
本殿。
壺井の名の由来となった壺井水。
壺井八幡宮;大阪府羽曳野市壺井605-2





