安土にある浄厳院です。

 

 

金勝山慈恩寺浄厳院という浄土宗の寺。

室町時代、近江守護・佐々木(六角)氏頼により、この地に慈恩寺威徳院という天台宗の寺が建てられました。しかし、この寺は戦火で焼失しました。

安土城を築いた織田信長は、城下のこの地に寺を再建。近江国金勝寺より浄厳坊明感を開山に招き、金勝山慈恩寺浄厳院という浄土宗の寺に改めました。

天正7年(1579年)、安土城下で辻説法を説いていた浄土宗僧侶に法華宗僧侶が議論を吹っ掛けたことに端を発し、織田信長の命により浄土宗の貞安・霊誉らと法華宗日珖・日淵らによって争われた安土問答(安土宗論)が行われた寺。このとき勝った浄土宗の僧たちが唱えたという「かちどき念仏」が今に伝わります。

 

 

楼門。

室町時代の天文年間に佐々木氏創建の慈恩寺の楼門として建てられたもの。その後、そのまま跡地に創建された浄厳院楼門とされたもので、重要文化財。平成5年に解体修理されています。

 

 

本堂。

織田信長が興隆寺の本堂を移築したもので、重要文化財。

重要文化財の本尊阿弥陀如来像を安置します。

 

 

不動堂。

 

 

観音堂。

 

 

浄厳院;滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺744