九条烏丸にある城興寺です。


古都の礎-城興寺

 

瑞寶山城興寺という真言宗の寺。

平安時代、この地に太政大臣藤原信長(関白藤原教通の子)の邸宅、九条邸がありました。応徳2年(1085年)、信長は邸内に丈六佛を安置して城興院と名付けました。

永久元年(1113年)、関白藤原忠通がにこの地に城興寺を創建。当時の城興寺は九条通に南大門を持ち、金堂、講堂が一列に並ぶ広大な寺でした。しかし、次第に衰退。応仁の乱で荒廃しました。江戸時代、庶民の間で洛陽三十三観音巡りが盛んになるとその札所として庶民に信仰されました。

洛陽三十三観音霊場第12番札所。


古都の礎-城興寺

 

本堂。

本尊千手菩薩観音像を安置します。

古都の礎-城興寺
 

境内社の薬院社。

薬院社の名は施薬院から。平安時代初期、左大臣藤原冬嗣が創建した施薬院が東寺付近にあり、鎌倉時代に別の場所に残っても施薬院稲荷だけが元の場所に鎮座していました。明治11年、この土地が京都府に収公され、施薬院稲荷は城興寺荼枳尼天堂に移されました。荼枳尼天は女性の稲荷神で、もともと城興寺境内に祀られていたもの。現在は薬院社に荼枳尼天像と施薬院稲荷に祀られていた稲荷像の男女稲荷像が祀られています。

 

 

 

城興寺;京都市南区東九条烏丸町7-1