神楽岡にある宗忠神社です。


古都の礎-宗忠神社

 

黒住教の開祖、黒住宗忠を祀る社。

江戸時代末期、宗忠は天照大神と一体になるという神教、黒住教を開始。尊王攘夷が広まる幕末の京の公家たちに大いに受け入れられます。

宗忠の没後、安政3年(1856年)、神道の吉田家が宗忠に「宗忠大明神」の神号を与え、吉田家が領有していた神楽岡吉田神社境内の現在地に宗忠神社を創建。慶応元年(1865年)、孝明天皇が勅願所としました。それがこちらの社になります。

現在、宗忠大明神(黒住宗忠)と、公家の二条家邸内鎮守社から遷された天照大神の2柱を祭神としています。

宗忠の出身地、岡山にも同名の宗忠神社があるため、こちらは神楽岡宗忠神社とも称されます。


古都の礎-宗忠神社

 

拝殿。

この奥に本殿が2つあります。

向かって左側に宗忠大明神、右側に天照大神を祀ります。


古都の礎-宗忠神社

 

向かって左側(南側)の本殿。

祭神は宗忠大明神(黒住宗忠)。

 

古都の礎-宗忠神社
 

向かって右側(北側)には天照大神が祀られます。

もとは公家の二条家邸内鎮守社に祀られていましたが、こちらへ遷されました。

古都の礎-宗忠神社

 

手水舎。

 

 

 

宗忠神社;京都市左京区吉田下大路町63