京都市無形文化遺産展示室で行われている京都祇園祭大船鉾復興展示です。


古都の礎-大船鉾復興展示

 

祇園祭山鉾巡行において、かつて後祭の最後尾を飾っていた鉾、大船鉾。

幕末の元治元年(1864年)の禁門の変の戦火によって鉾の木材を焼失、明治3年(1870年)に神霊のみを唐櫃に遷して巡行する唐櫃巡行を行って以来、巡行には参加しない休み鉾となっていました。近年、大船鉾復興の機運が高まり、四条町大船鉾保存会が発足。募金活動などにより大船鉾を復興し、平成26年(2014年)山鉾巡行における大船鉾復興を目指しているそうです。

ヨドバシカメラが京都ヨドバシビル1階北東を提供し、平成23年10月24日、京都市無形文化遺産展示室がオープン。現在、復興途上の大船鉾が展示されています。

そのほか、京都ヨドバシビル建設の際の発掘調査で出てきた遺物の展示もあります(一帯は鎌倉~室町期に東寺領で、その時に造られたとみられる池の跡が発掘されているほか、その時期の出土した食器などが展示されています)。

写真撮影も可能とのことでしたので、紹介します。


古都の礎-大船鉾復興展示

 

復興途上の大船鉾。

骨組みです。


古都の礎-大船鉾復興展示
古都の礎-大船鉾復興展示

 

大船鉾は祇園祭山鉾巡行の後祭においてくじ取らずで最後尾を飾っていた鉾で、室町時代の応永29年(1422年)には存在していたことが文献から分かっているそうです。当初は、船に人形を乗せた簡単なものでした。応仁の乱で消失、復興。江戸時代に入ると大掛かりな装飾と車を付けた船鉾となりました。祇園祭の山鉾にはもう一つ前祭に出ていた同名の船鉾があり、江戸時代には前祭の船鉾と後祭の船鉾、2つの船鉾が存在していました。前祭の船鉾が神功皇后の出陣を表す「出陣船鉾」であるのに対して、こちらの後祭の船鉾が神功皇后の戦勝凱旋を表すために「凱旋船鉾」の通称があります。

元治元年、禁門の変の戦火で鉾を焼失。明治3年に唐櫃に神霊を遷して巡行する唐櫃巡行を行って以来、休み鉾となりました。以降、巡行には参加せず、居祭が行われてきました。昭和44年、前祭、後祭が廃止され、すべての山鉾が7月17日に巡行するようになります。昭和59年、従来の後祭に出ていたこちらの凱旋船鉾の名称を大船鉾とします。平成7年、居祭が中止に。平成9年、囃子方が復活。平成18年には飾り棚が復活し、宵山に飾り棚を出すようになりました。現在、平成26年の祇園祭山鉾巡行での大船鉾巡行を目指しているとのことです。