嵯峨にある車折(くるまざき)神社です。
平安時代、この地には貴族清原氏の所領がありました。
平安時代末期の明経博士、清原頼業が山荘を営みます。頼業の没後、山荘は宝寿院という寺に改められました。付近に頼業の墓が築かれ、頼業が愛した桜が植えられて桜宮、桜大明神と呼ばれていたといいます。
鎌倉時代、後嵯峨天皇が大堰川遊幸のため前を通りかかると、牛車の轅が折れ、立ち往生しました。いずれの神の崇りであろうと天皇が訪ね求めると、近くに清原頼業の墓があることが分かったため、後嵯峨天皇は車折大明神の神号と正一位の位を贈ったと伝えられます。それがこの社の始まりとされています。
室町時代、近くに天龍寺が創建されるとその鎮守社となりました。慶応4年(1868年)、神仏分離令により独立しています。
中門。
拝殿。
本殿。
祭神は車折大神(清原頼業)。
清原頼業(1122~1189)は平安時代末期の明経博士。仁安元年(1166年)から24年にわたり大外記を勤め、九条兼実からその学才を讃えられました。安元元年(1175年)、明経博士。治承3年(1179年)、高倉天皇の侍読を勤めます。晩年はこの地に隠棲したと伝えられます。



かつて桜宮と呼ばれた境内には、今も桜の木が植えられています。早咲きの桜です。
車折神社;京都市右京区嵯峨朝日町23




