笠置山にある笠置寺です。


古都の礎-笠置寺

 

鹿鷺山笠置寺という真言宗智山寺の寺。

標高289メートルの笠置山を境内とする寺。笠置山上の巨岩の前からは祭祀に使われたとみられる弥生時代の石剣が発掘されており、弥生時代から信仰の対象とされていたといいます。

奈良時代、東大寺の僧、良弁・実忠によって巨岩に磨崖仏(自然界の石や岩に仏の姿が刻まれたもの)が彫られ、これを本尊として修験道の道場が開かれます。鎌倉時代初期には興福寺の僧、解脱坊貞慶が笠置寺に入り、最も栄えました。

元弘3年(1331年)、後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕計画が洩れて都落ち、笠置寺に入って鎌倉幕府に対抗。笠置寺は幕府軍に攻められ、後醍醐天皇は捕らえられて隠岐へ流されます。このとき一山は全焼しました。

笠置寺は室町時代に一部再興されましたが江戸時代には再び荒廃。近世に真言宗の寺に改宗。明治時代初期には無住職の寺となりました。明治9年、住職となった丈英により再興され現在に至ります。


古都の礎-笠置寺

 

笠置形燈籠。

復元されたもの。


古都の礎-笠置寺

 

弥勒大磨崖仏。

笠置寺の本尊。奈良時代に良弁と実忠の手によって高さ16メートル、幅15メートルの巨岩に彫られたという巨大な石仏。

この岩石前の地中から弥生時代の石剣、平安時代の経塚(写経を筒に収め地中に埋めたもの)が発掘されており、古代からこの岩が信仰されていたことを裏付けるそうです。

もとは線刻の仏像が彫られていましたが、笠置山が元弘元年の戦乱により鎌倉幕府の攻撃を受けて一山全焼となった際、この石仏も戦火を受けたために、表面が欠け落ちています。


古都の礎-笠置山

 

正月堂。

弥勒仏像の前にあり、笠置寺の本堂。巨岩に刻まれた本尊を拝むための堂であり、内部には磨崖岩にかつて彫られていた石仏を復元縮小した木像が置かれています。

こちらの正月堂は、現在は奈良東大寺二月堂で行われているお水取りの行事の第一回目が行われた建物。現在もこちらを正月堂と数えているために、東大寺には正月堂が存在しないそうです。


古都の礎-笠置寺

 

石造十三重石塔。

鎌倉時代のもので重要文化財。


古都の礎-笠置山

 

大師堂。

弘法大師空海を祀る堂。

当初、正月堂があった場所に建ちます。奈良時代、第一回目のお水取りはこの場所で行われたそうです。


古都の礎-笠置山

 

行在所遺址の碑。

高台の上に後醍醐天皇が元弘の変で笠置寺に身を寄せた際に滞在した行宮跡があります。


古都の礎-笠置寺

 

行在所跡。

元弘元年8月、吉田定房の密告により後醍醐天皇の討幕計画が鎌倉幕府に漏れ、鎌倉幕府は後醍醐天皇を捕えるため都に大軍を送ります。不穏な動きを察した後醍醐天皇は危機一髪、中宮の衣装を借りて女装し女車に乗って内裏を脱出、都を落ちます。同9月、当時膨大な僧兵を抱えていた笠置寺に迎えられて挙兵。しかし、敗れ、笠置寺は鎌倉幕府によって全山焼き討ちとなりました。笠置寺に滞在した際、後醍醐天皇が滞在した行在所がここにあったといいます。


古都の礎-笠置山

 

後醍醐天皇御製の和歌。

「うかりける 身を秋風に さそわれて おもわぬ山の 紅葉をぞ見る」

 

 

 

笠置寺;京都府相楽郡笠置町笠置山29